日本昆布会社の解散

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 このように、連合組合と昆布会社の矛盾対立が深まる中で、会社の経営は一層悪化した。こうした会社の経営困難の状況を察知した東京の株主らは、臨時株主総会の開催を請求、これを受けて会社側は、27年6月、総会を開き事後の対応策を協議することになった。総会では、調査委員を選出しその報告に基づき会社存続の是非を決めることになったが、委員会は直ちに調査にとりかかり次のような調査結果と対応策を答申した。
 
第一会社既往の成績。(前略)何故ニ今日ノ悲境ニ至リタリヤト言フニ之ヲ自然ノ結果ト言ハンヨリハ寧ロ会社ニ精神ナク定見ナク唯夢寝ノ間ニ営業ヲ継続シタリト言フモ敢テ過当ニアラザルベシ。(中略)然ルニ会社ハ創業以来営業ノ結果ニ依リテ之カ統計ヲ作ルニ、其生産者ヨリ年々買入レタル昆布ハ凡十二万石ニシテ其売却高ハ平均上海ニ六万石内地ニ三万石計九万石内外ニ過キス、故ニ毎年少クモ二三万石宛ノ荷物ハ会社ノ倉庫ニ停滞シ持越トナリタルカ如シ。廿五年ニ至リテハ愈巨額ニ上リ其数実ニ二十三万四千百五十石ノ多キニ達シ、(中略)故ニ其結果終ニ昨年高ト従来持荷ノ幾分トハ全ク停滞シテ二十五万石ノ昆布ハ空ク倉庫ニ堆積スルニ至レリ。(中略)資金ノ運転ハ如何ント言フニ従来停滞ノ荷物多額ナリシカ為メ財産ノ一部已ニ固定資本トナリ又幾分ノ信用アルヲ奇貨トシテ、従来取引アル銀行ハ勿論其他ニ向テモ能フ丈ノ借入ヲナシ、才覚ヲ運ラシタル結果、其財源ハ全ク絶ヘ、本年生産期ニ至リテモ其前貸ヲナスコト能ハスシテ不幸ニモ会社自身ニ於テ生産者トノ契約ヲ破ラサルヘカラサルニ至レリ…
(前出『日本昆布業資本主義史』)

 
 このように報告書は、まず会社の経営の行詰まった原因を分析した後、会社の正味財産を精査し、資産総額170万6492円、負債総額143万4052円、差引き27万2440円が残ること、しかし、資産中には払込未済株金34万590円が含まれており、それが徴収されない間は、負債として6万8149円が残ることを明らかにした。
 また会社資産には昆布在庫20万石(115万6877円)が計上されており、この処分方法が問題になるが、(1)抵当権を持つ債権者には、価格維持を図りつつ販売し、借入金を弁済し、その残余は年々の利益により返済すること、(2)抵当権を有しない債権者には、貸付金額を株券に振替え株主としての協力を依頼することとして対処する。
 そして、以後の会社経営については、(1)資本金を30万円に減資し内10万円を運転資金とすること、(2)今後の昆布営業は、原則として委託販売に切り替えること、(3)取扱量は、上海、東京、横浜、大坂などの需用量約15万石を限度にすること、(4)営業方法を委託販売に切替えたので営業経費は従来の3分の1、2万円で充当する、といった対策案が示された。つまり、このような状況でのもとでの会社の解散は、株主や債権者に多大の損失を与えるので、解散を見送り、営業方法を改め、経営の合理化を図ることによって、会社を存続させることとしたのである。
 こうして、昆布会社は、27年以後の連合組合との取引においては、従来の買取り方式を改め、受託販売に切り替えると同時に、会社の購入量の限度を10万石とすることにした。これは、会社が以前から引き継ぐ過剰在庫と増加する生産量に対応しうる販売能力をもち得なかったこと、生産者に対する前貸金の手当が極めて困難になったことに起因するものであった。
 このため昆布会社は清国への直輸出の能力を全く失い、「同会社ハ今春来最モ困難ノ域ニ沈淪シ貯蔵ノ品ハ之ヲ競売ニ付シ又ハ同業者ニ投売シ其価格ヲ保持スルニ遑アラスシテ専心在荷ノ捌方ノミニ勗ムルノ有様ナルヲ以其濫売ノ結果ハ大ニ市場ヲ撹乱シ遂ニ本品ノ相場ヲ暴落セシムルニ至レリ又同会社ハ従来ノ如ク北海道ニ於ケル生産者ニ対シテ前貸金ヲ為サヽルニ依リ当業者ノ困難其極点ニ達シ昆布干場又ハ漁具ヲ抵当ニスルモノ多ク随テ干場ノ地価モ咋春季ニ比スレハ大ニ低落セリト言ウ」(明治23年『外国貿易概覧』)状態に立ち至ったのである。
 この結果、昆布の生産者価格の維持、流通過程における清国商人の排除を目的に組織された日本昆布会社と連合組合による共同販売は、先の保任社や広業商会の場合と同様の運命を辿り、明治37年昆布会社の解散によって幕を閉じた。そして昆布輸出の商権は再び清国商人の手中に帰すことになったのである。