莫大な利益と仕込の実態

1159 ~ 1162 / 1505ページ
 このように、漁場主は函館が本籍地であれ、寄留地であれ、出漁前には函館にあって漁夫の雇入れや、全国各地で生産される上記の仕込物資を調達の上、1個の経営組織をつくって、漁場へ向かうわけである。もちろん調達した資金の額によって仕込物資は制約されるが、その年の海況や豊凶の予測に応じた仕入れをするためには、各種の情報を入手しなければならない。それには函館は最適の地であった。第1、2期の漁場主の中には、大阪から函館に至る西回り航路(北前船航路)に從事した船乗り(賣船乗りともいわれた)がいるが、その経験が経営全般に役立ったことも理解できるであろう。後年、北洋漁業の策源地と函館はいわれたが、まさに長年の情報が函館の地に蓄積されていたのである。
 さて、9年の函館税関の上申書にあったような年々莫大な利益があったのだろうか。累年で経営収支をみようとすると、領事館報告(表9-64樺太島漁業損益対照表)の数字しかない。これは漁民より申告された漁獲石数(ロシアへの納税のため過少申告もあって、実量より低目であろう)に100石当りの函館平均相場(ただし、明治19年より30年までは、函館・新潟平均相場である)を乗じたものを魚類売上総高としている。経費は本年新規買足した漁具代をはじめ、魚類塩漬用消費高から諸税金に至る6項目に分類されており、売上高より諸経費を控除したものを純益として毎年公表している。但し「コノ費目ハ概算ニシテ、ソノ詳細ニ至リテハ之ヲ知ルニ由ナシ」(35年)とか、「漁網ハ一ヵ年ニ消耗スルノ品ニ非ザレバ、本年漁民ノ純益ハコノ金額ニ止ラザルベシ」(21年)とか、「運送賃ニ至リテハ積荷ノ多少ニ由テ、前ニ記載セル運賃定額ヨリ減少スルノミナラズ、自己ノ船舶ヲ以テ渡航スル者ハソノ実用ナケレバ、得ル所ノ純益ハ右ノ割合ヨリ多カルベシ」(15年)と注釈を加えている。ともかく、この史料によって売上高に対する純益の比率をみると、無税期の明治15年では概数で50パーセントに達している。課税期に入った16年では大幅な損失となる。17年も損失であるが、落着いてきた18年から30年までの累年合計額で純益率を計算すると、30.2パーセントである。31年から36年までは、23.5パーセントに低下するが、20年代では売上高に対する諸税金率が10パーセント未満であったのに、32年から諸税金率が10パーセントをこえたことも原因となっている。それにしても売上高に対する純利益率が23パーセントから30パーセントというのは、確かに莫大な利益といえる。しかし、実態は本当にそうであったのか。ここで次の新聞記事を参考に考察を進めてみよう。
 
 表9-64 樺太島漁業損益対照表
事項
年次
漁具新規
仕込金
加工用
食塩
食料及び
消耗品
漁夫
給料
水夫
運賃及び
諸雑費
諸税金
 
経費合計
 
純 益
 
明治15
 16
 17
 18
 19
 20
 21
 22
 23
 24
 25
 26
 27
 28
 29
 30
 31
 32
 33
 34
 35
 36
34,400
19,103
 
1,820
3,712
11,908
20,518
18,007
31,906
35,523
33,330
50,455
48,472
67,217
126,947
305,393
149,195
288,167
130,542
136,935
139,992
147,138
30,068
28,961
23,095
3,600
5,461
13,884
11,040
12,176
22,300
6,503
16,496
14,549
24,881
24,292
47,770
114,211
42,517
42,471
33,286
24,518
38,394
43,010
10,051
11,927
 
2,581
3,477
6,021
6,246
6,048
12,954
11,921
13,745
15,882
20,782
21,562
35,174
53,072
101,439
101,181
78,893
80,693
76,194
116,246
38,150
38,650
455
3,396
3,663
9,256
17,370
21,526
18,624
26,400
23,929
33,782
36,881
42,628
71,707
98,768
128,851
148,835
118,886
125,532
146,581
189,703
45,392
32,853
2,725
4,685
1,767
10,530
9,599
11,527
不明
2,000
2,516
3,487
12,095
21,157
35,841
67,527
91,347
145,880
126,764
150,748
146,575
187,196
458
1,310
3,116
2,416
3,813
5,528
6,621
8,759
9,454
5,181
11,474
14,054
29,079
25,212
32,318
49,987
57,828
153,466
102,168
83,740
136,499
145,647



18,499
21,893
57,126
71,394
78,042
95,238
87,528
101,490
132,208
172,189
202,069
349,756
688,957
571,177
880,001
590,539
602,165
684,235
828,940
 
 
 
11,620
20,265
64,952
62,731
110,527
10,290
△ 21,534
48,596
50,287
69,556
128,001
234,852
108,788
117,956
217,333
205,646
206,765
161,905
368,465

 「コルサコフ領事館報告」より作成
 *はルーブル
 各欄の数字は四捨五入したので、合計と一致しない.
 
 「方今ノ所謂営業人ナルモノノ中、或ル二、三名ヲ除クノ外ハ専ラ無資無力ノ輩ノミ、第一財本ニ乏シク、第二練熟ニ乏シ、漁業ニ要スル所ハ財本ト練熟ノミ、是レニシテ欠ク悪ゾ其ノ成ルヲ期スベケンヤ」(明治12年5月20日「「函新」)。「今度始めて取組のできた樺太鱒は凡そ六千石、同鮭は凡そ千石にて鱒百石(一万四千本)四百六十五円五十銭、鮭百石(六千本)六百円の取組直段なり、且つ売主は相原寅之助、永野弥平、木田長右衛門、山口徳蔵、西村利光、佐藤和右衛門、岡田伝右衛門の七名にて、買主は越後新潟船其の他なりという」(明治14年2月2日、「函新」)。
 12年の記事に出て来る財本の乏しい漁民(練熟ニ乏シとあるのは、漁撈作業に熟練した漁業労働者の少ないことをいう)が漁業を営むためには、14年の記事のように、その年の2、3月頃に空取引(売付とか青田といわれる)をして資本を調達しなければならない。こうした取引慣行は次の史料(明治16年「サガレン島出稼漁民上申書」外交史料館蔵)で明らかである。「売附直段ト唱フルハ函館ニ於テ、船持或ハ他ノ商人ヘ売渡シ、出産地塩漬蔵前ニ於テ相渡シ直段、則チ漁民ハ漁ヲ営ミ、船持或ハ他ノ商人是レヲ買受ケ運搬シテ営業トスルヲ習慣トス、依テ漁民ト商人ト二派ニナルナリ」。
 このように、商人が漁民と取組む売付相場は実物が取引される市場相場より3割ないし4割は安値であった。船持商人は自己の船舶に漁場主の雇漁夫、塩、網その他食料品等をのせ渡島し、船舶は漁業の終わるまで漁場に碇して約定額の製品を受取り帰港するが、乗組水夫の手当や雑費、輸出税の負担等のほか、不漁の際のリスクも見込んで直段を決めたものであろう。その計算例を表9-65で示す。
 
 表9-65 青田売百石値段平均表
 
鮭 6,000尾
(3,000貫)
鱒 14,000尾
(2,800貫)
明治27年より31年まで5か年平均
輸出漁税概算
積取運賃及び雑費
639円50銭 
70円00銭 
120円00銭 
438円50銭 
70円00銭 
120円00銭 
合 計
829円50銭 
628円50銭 
市場百石(4,000貫)に換算
1,106円00銭 
897円86銭 

 市場時価百石値段平均表
明治28年~30年まで3か年平均
1,472円62銭
1,219円86銭

 『露領サガレン島漁業調査報告』(農商務省水産局)より引用
 
 2、3月頃にできた青田相場に商人負担の運賃や諸税を加えた合計額を市場100石=4000貫に換算の上で、市場時価と比較すると鮭で33パーセント、鱒で36パーセントの安値である。この時、市場時価で販売した商人の売上高荒利益率は、鮭で25パーセント、鱒で26パーセントと高率といえよう。青田売買の慣行が商人資本の蓄積に役立ったことは、これで明らかとなる。
 以上の考察からして、領事館報告の純益が売附相場の形成、つまり仕込みを通じて漁民から商人の手に渡った場合は、漁民の利益はほとんど皆無となることがわかった。しかし、船持漁場主の場合はそうではないであろう。明治28年の漁場主20名のうち、船舶所所有者は永野弥平(石川県)5隻、岡田八十次(滋賀県)4隻、笹野栄吉(石川県)、今小三郎(秋田県)、佐藤清四郎(新潟県)、米田六四郎(富山県)、相原寅之助(函館)、西村利光(函館)、木田長右衛門(函館)、山本巳之助(函館)の各1隻で、船舶所有者は漁場主の半数であった。このうち、永野弥平(投網数8か統)の明治27年の漁業精算書を表9-66でみると、漁業のみの売上高対利益率は22.1パーセント、船舶を含めた利益率では、37.9パーセントに達するから、前述の領事館報告とその注釈の正確さを裏付ける史料となる。
 
 表9-66明治27年度本年漁業利益精算「ナヨロ」網8か統
鮭鱒締粕筋子売代〆
21,911円27銭   
本年仕込金総計〆
16,589円60銭   
差引利益
5,401円67銭   
支配人小川弥四郎手当金
550円 
正味利益
4,851円67銭   
外 各手船5艘して金3,400~3,500円余も利益あり

 「永野家文書」より作成