さて、9年の函館税関の上申書にあったような年々莫大な利益があったのだろうか。累年で経営収支をみようとすると、領事館報告(表9-64樺太島漁業損益対照表)の数字しかない。これは漁民より申告された漁獲石数(ロシアへの納税のため過少申告もあって、実量より低目であろう)に100石当りの函館平均相場(ただし、明治19年より30年までは、函館・新潟平均相場である)を乗じたものを魚類売上総高としている。経費は本年新規買足した漁具代をはじめ、魚類塩漬用消費高から諸税金に至る6項目に分類されており、売上高より諸経費を控除したものを純益として毎年公表している。但し「コノ費目ハ概算ニシテ、ソノ詳細ニ至リテハ之ヲ知ルニ由ナシ」(35年)とか、「漁網ハ一ヵ年ニ消耗スルノ品ニ非ザレバ、本年漁民ノ純益ハコノ金額ニ止ラザルベシ」(21年)とか、「運送賃ニ至リテハ積荷ノ多少ニ由テ、前ニ記載セル運賃定額ヨリ減少スルノミナラズ、自己ノ船舶ヲ以テ渡航スル者ハソノ実用ナケレバ、得ル所ノ純益ハ右ノ割合ヨリ多カルベシ」(15年)と注釈を加えている。ともかく、この史料によって売上高に対する純益の比率をみると、無税期の明治15年では概数で50パーセントに達している。課税期に入った16年では大幅な損失となる。17年も損失であるが、落着いてきた18年から30年までの累年合計額で純益率を計算すると、30.2パーセントである。31年から36年までは、23.5パーセントに低下するが、20年代では売上高に対する諸税金率が10パーセント未満であったのに、32年から諸税金率が10パーセントをこえたことも原因となっている。それにしても売上高に対する純利益率が23パーセントから30パーセントというのは、確かに莫大な利益といえる。しかし、実態は本当にそうであったのか。ここで次の新聞記事を参考に考察を進めてみよう。
表9-64 樺太島漁業損益対照表
事項 \年次 | 漁具新規 仕込金 | 加工用 食塩 | 食料及び 消耗品 | 漁夫 給料 水夫 | 運賃及び 諸雑費 | 諸税金 | 経費合計 | 純 益 |
明治15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 | 34,400 19,103 1,820 3,712 11,908 20,518 18,007 31,906 35,523 33,330 50,455 48,472 67,217 126,947 305,393 149,195 288,167 130,542 136,935 139,992 147,138 | 30,068 28,961 23,095 3,600 5,461 13,884 11,040 12,176 22,300 6,503 16,496 14,549 24,881 24,292 47,770 114,211 42,517 42,471 33,286 24,518 38,394 43,010 | 10,051 11,927 2,581 3,477 6,021 6,246 6,048 12,954 11,921 13,745 15,882 20,782 21,562 35,174 53,072 101,439 101,181 78,893 80,693 76,194 116,246 | 38,150 38,650 455 3,396 3,663 9,256 17,370 21,526 18,624 26,400 23,929 33,782 36,881 42,628 71,707 98,768 128,851 148,835 118,886 125,532 146,581 189,703 | 45,392 32,853 2,725 4,685 1,767 10,530 9,599 11,527 不明 2,000 2,516 3,487 12,095 21,157 35,841 67,527 91,347 145,880 126,764 150,748 146,575 187,196 | 458 1,310 3,116 2,416 3,813 5,528 6,621 8,759 9,454 5,181 11,474 14,054 29,079 25,212 32,318 49,987 57,828 153,466 102,168 83,740 136,499 145,647 | * * * 18,49921,893 57,126 71,394 78,042 95,238 87,528 101,490 132,208 172,189 202,069 349,756 688,957 571,177 880,001 590,539 602,165 684,235 828,940 | 11,620 20,265 64,952 62,731 110,527 10,290 △ 21,534 48,596 50,287 69,556 128,001 234,852 108,788 117,956 217,333 205,646 206,765 161,905 368,465 |
「コルサコフ領事館報告」より作成
*はルーブル
各欄の数字は四捨五入したので、合計と一致しない.
「方今ノ所謂営業人ナルモノノ中、或ル二、三名ヲ除クノ外ハ専ラ無資無力ノ輩ノミ、第一財本ニ乏シク、第二練熟ニ乏シ、漁業ニ要スル所ハ財本ト練熟ノミ、是レニシテ欠ク悪ゾ其ノ成ルヲ期スベケンヤ」(明治12年5月20日「「函新」)。「今度始めて取組のできた樺太鱒は凡そ六千石、同鮭は凡そ千石にて鱒百石(一万四千本)四百六十五円五十銭、鮭百石(六千本)六百円の取組直段なり、且つ売主は相原寅之助、永野弥平、木田長右衛門、山口徳蔵、西村利光、佐藤和右衛門、岡田伝右衛門の七名にて、買主は越後新潟船其の他なりという」(明治14年2月2日、「函新」)。
12年の記事に出て来る財本の乏しい漁民(練熟ニ乏シとあるのは、漁撈作業に熟練した漁業労働者の少ないことをいう)が漁業を営むためには、14年の記事のように、その年の2、3月頃に空取引(売付とか青田といわれる)をして資本を調達しなければならない。こうした取引慣行は次の史料(明治16年「サガレン島出稼漁民上申書」外交史料館蔵)で明らかである。「売附直段ト唱フルハ函館ニ於テ、船持或ハ他ノ商人ヘ売渡シ、出産地塩漬蔵前ニ於テ相渡シ直段、則チ漁民ハ漁ヲ営ミ、船持或ハ他ノ商人是レヲ買受ケ運搬シテ営業トスルヲ習慣トス、依テ漁民ト商人ト二派ニナルナリ」。
このように、商人が漁民と取組む売付相場は実物が取引される市場相場より3割ないし4割は安値であった。船持商人は自己の船舶に漁場主の雇漁夫、塩、網その他食料品等をのせ渡島し、船舶は漁業の終わるまで漁場に碇泊して約定額の製品を受取り帰港するが、乗組水夫の手当や雑費、輸出税の負担等のほか、不漁の際のリスクも見込んで直段を決めたものであろう。その計算例を表9-65で示す。
表9-65 青田売百石値段平均表
鮭 6,000尾 (3,000貫) | 鱒 14,000尾 (2,800貫) | |
明治27年より31年まで5か年平均 輸出漁税概算 積取運賃及び雑費 | 639円50銭 70円00銭 120円00銭 | 438円50銭 70円00銭 120円00銭 |
合 計 | 829円50銭 | 628円50銭 |
市場百石(4,000貫)に換算 | 1,106円00銭 | 897円86銭 |
市場時価百石値段平均表
明治28年~30年まで3か年平均 | 1,472円62銭 | 1,219円86銭 |
『露領サガレン島漁業調査報告』(農商務省水産局)より引用
2、3月頃にできた青田相場に商人負担の運賃や諸税を加えた合計額を市場100石=4000貫に換算の上で、市場時価と比較すると鮭で33パーセント、鱒で36パーセントの安値である。この時、市場時価で販売した商人の売上高荒利益率は、鮭で25パーセント、鱒で26パーセントと高率といえよう。青田売買の慣行が商人資本の蓄積に役立ったことは、これで明らかとなる。
以上の考察からして、領事館報告の純益が売附相場の形成、つまり仕込みを通じて漁民から商人の手に渡った場合は、漁民の利益はほとんど皆無となることがわかった。しかし、船持漁場主の場合はそうではないであろう。明治28年の漁場主20名のうち、船舶所所有者は永野弥平(石川県)5隻、岡田八十次(滋賀県)4隻、笹野栄吉(石川県)、今小三郎(秋田県)、佐藤清四郎(新潟県)、米田六四郎(富山県)、相原寅之助(函館)、西村利光(函館)、木田長右衛門(函館)、山本巳之助(函館)の各1隻で、船舶所有者は漁場主の半数であった。このうち、永野弥平(投網数8か統)の明治27年の漁業精算書を表9-66でみると、漁業のみの売上高対利益率は22.1パーセント、船舶を含めた利益率では、37.9パーセントに達するから、前述の領事館報告とその注釈の正確さを裏付ける史料となる。
表9-66明治27年度本年漁業利益精算「ナヨロ」網8か統
鮭鱒締粕筋子売代〆 | 21,911円27銭 |
本年仕込金総計〆 | 16,589円60銭 |
差引利益 | 5,401円67銭 |
支配人小川弥四郎手当金 | 550円 |
正味利益 | 4,851円67銭 |
外 各手船5艘して金3,400~3,500円余も利益あり |
「永野家文書」より作成