古銭とかめ 市立函館博物館蔵
以上のように館が存在していたと思われるが、亀田の館はいったい何を経済的基盤として経営されていたのであろうか。それは亀田地域及び渡島半島の海岸線沿いに集荷される昆布を中心とする海産物その他を東北、北陸の裏日本から来航する船と交易し、それを財源として館の経営がなされていたものと考えられ、前述『庭訓往来』の宇賀昆布の記録や、昭和四十三年志苔館に近い道路工事現場で発見され、室町時代に貯えられたと考えられる約三七万四、〇〇〇枚の古銭や、「文政四年箱館ノ東ニトイト云フ処ニテ古銭掘出シ、洗ヒテミガキ候処文字分リ大観通宝、開元、永楽、洪武銭ノヨシ(中略)凡六十二貫余有レ之候」(『松風夷談』北大図書館蔵)の記録などは、それらの事実を証明するものであろう。