このほかにも亀田奉行関係の法令として次のようなものがある。(前同所蔵史料)
覚
一 川流薪の義、内拾五分一役にて百姓并給所入込川流を改候て見分の上拾五分一の役可二申付一候。但半川流いたし置、馬にて通候者有レ之候はば是等は弐拾分一の役可二申付一候事。
一 灘追昆布本浜役、東在喜(木)古内より汐くびまで昆布取候船役、壱艘ニ付金四匁。但小船は金弐匁。亀田支配百姓毎度其所ニ居ながら役相勤候者は船壱艘ニ付金二匁宛可二申付一候。汐くびより下まて昆布取候事松前え無レ断取申間舗候事。
一 穀物役東西在々畑方見分の上にて七斗の穀役可二申付一候。亀田支配の百姓其前々より穀役致し来候通相納可レ申候。惣て在々何方にても畑蒔候大目の百姓は穀役相納、給所の百姓は其地頭え可レ勤事。
一 他国より入酒、魚油、湊出役壱樽ニ付金三分宛役可二申付一候事。
一 鱈取船の役、泉沢辺より亀田迄壱艘ニ付金四匁宛の船役可二申付一候事。
一 鱒取候事在々何方ニテも運上差出相願可レ申候。惣て無レ断鱒場取申間鋪候事。
一 旅人女抱置候者、近年猥有レ之候故、人夫役可二申付一候。其者身上分限ニ応し見分の上、役金拾五匁、七匁、三匁可二申付一候事。
一 宮之歌村百姓何方ニて畑蒔候共給所同然の事。其外薪川流、追昆布、鮫、鱈取候者は大目の百姓同然の事。
一 汐くびより下え昆布取ニ相越候者共、本昆布四駄宛人別の役右書出候。役金弐匁の代り相納候事。
一 志のり浜の内にて昆布取候者共ニ志のり昆布七駄宛相納候事。
一 亀田百姓やけないにて昆布取候者共、役金弐匁の代りやけない昆布拾弐駄相納候事。
一 鮫取船汐くびより下え相越候船共亀田番所より判形取可二罷越一候。此船役壱艘ニ付金弐匁并壱人ニ付油三盃宛亀田番所え納。
但、松前より判形取候船は格別の事。
一 知り内より下在々居ながら鮫取候船役、壱艘に付金弐匁宛の役可二申付一候。
但、亀田支配の者共ハ前々納来り候通、油役金共ニ可二相納一候事。并小船半役の義、見分の上可二申付一候事。
右の通急度可二申付一者也
月 日
この覚書は、前同様『松前福山諸掟』中の、亀田、箱館奉行「覚」の中に含まれているもので、年月は不明であるが(享保年間と推定される)、亀田奉行からその支配地域に出された税に関する法令である。
昆布をはじめとする海産物税や穀物税、出入港税は享保年代初期には物納であったが、この法令が出された享保中ごろには金納に変わっていたことがわかる。