亀田郷の範囲は時代によって多少の違いはあるものと考えられるが、亀田八幡宮の旧記、享保九(一七二四)年の記事に、「右神楽料留(富カ)川村ヨリ亀田郷ト唱、箱館市中小安村迄」とあることや、『東蝦夷地道中記』寛政三(一七九一)年の記録に、
大 野
御制札一ケ所 家数五十五軒 人数二百人余 小頭又右衛門 年寄市郎右衛門 箱館名主支配也。村に人別帳畑面水帳もなく、年貢は十坪に付鐚三文、寛政二戌年は十二貫程上納せしとて云。都て此辺の村は皆箱館名主支配也。
と記されているところから、亀田郷は東は富川村(現上磯町字富川)、南は箱館市街、東は戸井町小安、北は大野町にわたる地域のことであったものと考えられる。