相次ぐ改廃

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 明治元年四月十二日箱館裁判所(地方行政機関)が設置されたが、わずか十二日あまりで閏四月二十四日には箱館府と改称され、また十月二十日榎本軍が森村鷲の木に上陸、同二十六日には五稜郭を占領し、箱館戦争となったため、設置したばかりの箱館府はやむなく青森へ移転しなければならなかった。その後戦争が終り、箱館府は翌二年五月十九日ようやく箱館にもどって来たが、落ち着く間もなく行政組織の改革があり、七月八日開拓使が設置され、二十四日には箱館府が廃止されるというような状況であった。明治二年八月十五日蝦夷を北海道と改め、十一国八十六郡を置いたがこの内渡島国には亀田、茅郡、上磯、福島、津軽、檜山、爾志の七郡が置かれ、この時から亀田地域は亀田郡に属することになった。
 このように短期間に種々の行政改革が行われたが、これで落ち着いたわけではなく、更にこの後も変革、改組が続けられた。すなわち明治三年十月九日、在京の開拓使庁は廃止され東京出張所と改称され、函館出張所が本庁となった。翌明治四年五月、札幌に開拓使本庁が設置され、函館、根室には出張開拓使庁が置かれることになった。更に明治五年札幌開拓使庁は札幌本庁と改められ、函館以下一五支庁が置かれることになった。