赤松守雄「北海道における貝塚の生物群集−とくに縄文海進に関連して−」『地球科学』3,1969
赤松守雄ほか「北海道噴火湾奥沿岸からの野牛(Bison)化石の発見とその意義」『北海道開拓記念館研究紀要』27、1999
福井淳一「細石刃石器群の出現−柏第遺跡」シンポジウム『海峡と北の考古学』資料集Ⅰ、日本考古学協会1999年度釧路大会実行委員会、1999
藤本 強「総論」『縄文文化の研究6』続縄文・南島文化、雄山閣、1994
Gary Crawford, Paleoethnobotany of the Kameda peninsula Jomon. Museum of Anthropology, University of Michigan, No.73, 1983
石本省三「北海道南部の続縄文時代」『北海道の研究』1、清文堂、1984
北海道開拓記念館『札苅』1976
北海道大学『サクシュコトニ川遺跡(1)』1987
北海道埋蔵文化財センター『小樽市忍路土場遺跡・忍路5遺跡』1989
北海道埋蔵文化財センター『尻岸内町中浜E遺跡』1985
木古内町教育委員会『札苅遺跡』1974
久保 泰ほか『日の浜砂丘1遺跡』恵山町教育委員会、1986
名取武光「網と釣の覚書」『北方文化研究報告』第15輯、北海道大学、1960
西本豊弘「尾白内中学校所蔵の尾白内貝塚出土動物遺存体」『尾白内』森町教育委員会、1981
西本豊弘「恵山貝塚出土の骨角器と動物遺存体」『恵山貝塚』尻岸内町教育委員会、1984
野村 崇「北海道日の浜8号遺跡出土の晩期縄文土器について」『北海道開拓記念館研究年報』第7号、1979
小笠原忠久『恵山貝塚』尻岸内町教育委員会、1984
小笠原忠久『古武井9遺跡』尻岸内町教育委員会、1984
大島直行「北海道出土の貝輪について」『考古学ジャーナル』311、1989
札幌市教育委員会『K135遺跡4丁目・5丁目地点』1987
瀬川拓郎『旭川市錦町5遺跡Ⅱ』旭川市教育委員会、1985
高橋正勝(1974)「日の浜型住居址−2段の床をもつ五角形プランの住居址について−」『北海道考古学』第10輯
高橋正勝「北海道南部の土器」『縄文文化の研究』4、雄山閣、1981
高橋正勝・小笠原忠久「縄文文化前期・中期」『北海道考古学講座』みやま書房、1980
高橋正勝ほか『江別太遺跡』江別市教育委員会、1979
上野秀一「石器」『縄文文化の研究6』続縄文・南島文化、雄山閣、1994
宇田川洋『北海道の考古学』北海道出版センター、1977
宇田川洋「住居」『縄文文化の研究6』続縄文・南島文化、雄山閣、1994
山内清男「日本遠古之文化(補訂1939)」『日本考古学選集』21、山内清男集、築地書館、1974
山田悟郎「古代のソバ」『考古学ジャーナル』355、ニューサイエンス社、1992
山田悟郎「北海道の遺跡から出土した植物遺体について」『古代文化』第45巻第4号、1993
山田悟郎ほか「羅臼沖から発見されたマンモスゾウ臼歯化石の年代について」『北海道開拓記念館研究紀要』24、1996
山田悟郎「日本列島北端で展開された雑穀農耕の実態」『北海道開拓記念館研究紀要』26、1998
山田悟郎「クリを管理し北海道まで広げた縄文人」『縄文学の世界』朝日新聞社、1999
吉崎昌一「縄文文化の発展と地域性 北海道」『日本の考古学』2、河出書房新社、1965
吉崎昌一「神々の庭で−北海道の先史時代−」『北海道自然のなりたち』北海道大学図書刊行会、1994
吉崎昌一「中野B遺跡におけるヒエ属種子の検出」『函館市中野B遺跡(Ⅲ)』北海道埋蔵文化財センター、1998
吉崎昌一・椿坂恭代「中野A遺跡から発掘された縄文時代早期の炭化植物種子」『函館市中野A遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1992
吉崎昌一・椿坂恭代「北海道・中野B遺跡から検出された縄文時代早期の植物種子」『函館市中野B遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1996