(4)尻岸内村の新農山漁村振興計画

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 この振興計画策定に当たって村は、村づくりの問題(振興計画)を、村と部落ぐるみの体制で真剣に話合い、共通理解の上に立ち策定した。そして、昭和31年には、まず部落懇談会・広報紙などでこの趣旨・内容の普及に努め、12月8日、尻岸内村農山漁村振興協議会を設立、翌32年3月には総合的な基本計画をまとめ、道知事から地域指定を受け事業に着手した。これは以後10か年にわたる村・村民の指針ともなった。
 『尻岸内村農山漁村振興特別助成事業計画』より漁業についての内容を抜粋し記す。
 
一、尻岸内の地域振興基本構想 (一は農業 二は林業)
(1)漁業においては豊漁時代の回遊魚族および浅海海藻だけに依存してきた従来の経営方針から脱却して、大、中型漁船による沖合および遠洋への進出を促進し、無動力船は動力化に切り換えて小型漁船による多角経営を行う。
 また、未利用漁場の開発と、漁具漁法の改良、漁労技術の改善とによって漁獲の増収を図る。
 浅海増殖事業は従来と同様積極的にこれを行い、減産の一途を辿っている海藻類の増殖を図り、もって漁家経済の安定と生活文化の向上につとめる。
 A・魚田改良施設
 B・魚族の繁殖
 C・貝類の増殖
 D・動力漁船の建造
 E・共同利用施設の拡充
 F 有線放送施設・無線施設
(2)特別助成事業の構想(漁業関係のみ記す)
(3)漁船漁業の振興は漁港、漁船の整備が前提条件であり、漁船の耐用年数の延長、労働力の削減、陸揚げを容易にするために、共同船捲揚施設をなして漁船漁業の振興を図る。
(4)漁業放送を設け各種通報の周知徹底、警報の速報によって災害未然防止を図り、また、共同生活改善の施設によって漁民の生活文化の向上を期する。
 
 この振興計画による事業が初年度・次年度と、早々と実施された。
 昭和32年度 新農山漁村建設事業・漁業関係分
・共同作業場(古武井漁協)事業費1,398千円
   (国庫補助金 300 村費 200 自己負担898)
・簡易冷蔵庫(尻岸内漁協)事業費2,307千円
   (国庫補助金 403 村費 360 自己負担1,544)
 昭和33年度 新農山漁村建設事業・漁業関係分
・共同荷捌所(尻岸内漁協)事業費1,390千円
   (国庫補助金 560 村費 200 自己負担630)
・養鱒施設(女那川養鱒組合)事業費650千円
   (国庫補助金 390 自己負担260)
 
〈ニシン沖刺網と日本海流し網〉
 昭和33年、新しい沖合漁業としてニシン沖刺網と日本海マス流し網を実施した。
 日本海マスは4年間で、初年度から本操業(知事許可)に踏み切った。沖合漁業への転換はこれまで掛け声倒れに終わっていただけに、この実現に関係者はもちろん村民も大いに期待した。ところが初年度、日本海マスの回游は異例だったらしく操業漁船300隻の内、ほぼ半数が赤字という結果となり、本格操業1年目にして多くの課題を残した。
 主なものとして、①本州との入会協定問題 ②許可方針の再検討、などがあげられる。
 一方、ニシン沖刺網の方は、前年、前浜刺網が77パーセント、沖刺が23パーセントの割合であったのが、昭和33年年度は前浜刺網が20パーセント、沖刺が80パーセントと逆転し沖刺の成功が裏付けられた。
 
〈漁船装備と漁具・漁業施設の近代化〉
漁船の動力化 漁船の動力化については漁業法の改正から徐々に増加しはじめた。昭和27年以来の焼玉機関は逐年減少しディーゼルに取って代わった。39年で全動力船の50パーセントがディーゼル化、15トン以上の大型化の傾向にある。一方、電気着火機関も、安価なこと取り扱いが簡単なことから依然として増加傾向にある。そのほとんどはこれまで無動力であった磯船への装備で、通称、チャッカー(着火)と呼ばれ重宝された。
 
漁具の改良
 漁具の改良については、イカ釣漁具の画期的な進歩が特筆される。
 この時代、古くからイカ釣漁業に専ら用いられてきた“トンボ・ハネゴ”などの漁具はすでに過去のものとなっていった。すなわち、昭和30年代中頃「回転ローラー式イカ釣具」が現れたからである。(後述するが)この漁具の出現はイカ釣漁業に革命をもたらしたといっても過言ではない。この漁具は、一条のテグスに疑似針(プラスチックかステンレス製)を幾つか連らね、これを回転ローラーに複数装着しローラーを回転させながらイカを釣上げるという方式ものである。初期の頃は手動式であったが後、動力式に変わった。
 
漁業施設の近代化
 漁船の大型化、沖合漁業の拡大にともない「魚群探知器」を装置する漁船も現れた。また安全操業のためのレーダー、ロラン(2局から出る電波を受信し自船の位置を知る装置)、ラジオブイなどの装備も着々進み、昭和39年には恵山漁業協同組合に電話海岸局が設けられ、超短波(27MC1W)送受信が行われるようになった。

昭和39年から41年までの漁船の推移(動力・無動力・屯数)

 
近代化の促進
 国は沿岸漁業法を振興する決め手として、昭和36年から漁業構造改善対策を推進、同39年には道南太平洋沿岸を地域指定した。そして漁船建造・装備のための近代化資金融資と陸上施設として冷蔵庫・共同施設建設に対する補助事業を行った。
 また、昭和40年度の日本海南部地域構造基本計画では、同37年度を基準年次に48年度を目標として、1人当たり年間所得を3.2倍の28万9千円に増大させることとして、その具体的施策を次のように定めた。
 ①奥尻・大島・恵山岬・噴火湾周辺の漁場の開発をする。
 ②天日干に頼っていたスルメイカ乾燥の近代化のため乾燥機を設ける。
 ③指導船を伴う集団操業方式を採用する。
 ④浅海養殖、いわゆる蓄養を推進する。
 漁業経営の近代化・漁船の近代化といっても先立つものは資金である。しかし漁家の疲弊は目に見えており、何としても助成条例に基づく漁家経済振興資金の役割は大きかった。道では昭和31年「北海道漁家負債整理促進条例」を交付して以来、漁家の固定負債を10か年で解消整理させる措置を取った。この漁家負債整理の対象とされた漁家は、凶漁等止むを得ぬ理由で多額の負債を背負ったが、その後、積極的に経済再建を図ろうとするものへの助成措置をするというものである。
 この条例により再建資金の融資を受けた尻岸内村内分を次に記す。

尻岸内村漁協別漁家負債整理融資状況調べ(町有文書)

 
〈浅海増殖事業の実績〉 昭和31年イカ漁が皆無という未曾有の凶漁となった。戦後、イカ漁は何とか村の経済を支えてはきたがスルメに加工するだけの出荷に、時には大漁貧乏の悲哀を抱えてきた。村・漁協はこれを機に、これまでも叫ばれてきたが安定した生産を得るために、浅海増殖事業に本格的に取組む方針を固めた。
 この事業は自然石投入事業から、昭和36年岩礁破砕、37年からは自然石から浅瀬に定着のよいブロック投入を行い海藻付着育成の効率をはかり、40年は事業費も31年度予算の3倍、4百万円余りとなり41年には漁業構造改善事業推進の重要施策である根付魚の増殖・産卵を促す人工魚礁(並型)の投入、翌42年には900万円の事業費により大型魚礁を投入という事業拡大を図った。

浅海増殖事業費と実績