函館・椴法華間準地方費道の開削が、戸井村字原木の岸壁に「7ケ所の隧道(トンネル)」をくりぬき尻岸内村字日浦まで辿り着いたのは、元号がかわった昭和3年8月のことであった。関係者及び地域住民の喜びはひとしおであり、この開通を祝し8月23日には日浦を会場に、戸井・尻岸内両村合同の『原木日浦間準地方費道・道路開通祝賀式』が挙行されている。
以下、函館毎日新聞(昭和3年8月25日付)の記事から、その概要を記す。
当日の出席者、来賓として、道庁からは山中土木部長・橋本道路課長が係員を従え、函館からは吉村渡島支庁長・大島土木事務所長・大櫛技手、銭亀沢村の黒島議員、銭亀沢・椴法華両村長、報道陣はタイムス・樽新・函新・函毎各記者。主催者側、川内戸井村長・十倉尻岸内村長・両村関係者・村会議員・青年団役員ら総勢百余名が参加、式場の日浦の戸井尻岸内両村界、岩根橋々畔に幔幕が張り巡らされ祭壇が設けられ式典は挙行された。式典は午前10時30分挙式を宣し神職による厳かな祝詞があげられ、川内戸井村長の式辞、山中土木部長の告辞、一同玉串をささげた後、炎天下のため直ちに日浦小学校の祝賀会場へと場所を移す。祝賀会場では十倉尻岸内村長の挨拶に対して吉村支庁長・黒島道会議員・両村会代表らの祝辞等続き祝宴、午後1時閉会となる。
午後は、発動機船にて古武井・根田内・椴法華までの沿岸を船上より視察、帰路古武井で小休止ののち日浦に戻り、午後6時、自動車にて帰路に就いた。
この式典・祝賀会を取材した函館毎日新聞社の石川記者のコラムが8月25・26日の2日にわたり函館毎日新聞に連載されている。当時の尻岸内・戸井・椴法華の抱える道路・交通運輸問題、併せて住民の取組みに鋭く迫っており、また、観光資源についても触れているので全文を掲載する。
〈道路難の下海岸(上)〉
昭和三年八月二十五・二十六日付函館毎日新聞
渡島重要産業の一つの漁業に於ては、非常に恵まれている下海岸一帯は何れも漁業を以て、相当豊かに生計を営んでいるが、文化的施設に於てはこれは又道内に於て一番恵まれていない。交通運輸の不便もとよりのこと満足な道路らしい道路がない。文化の尺度といわれる道路難は、かくて下海岸を時代から取残さんとしつつある。こうした現状にあって、戸井・椴法華間の内原木・日浦間に道路の竣工を見たことは、正(まさ)しく大きな喜びでなければならない。さればこそ戸井・尻岸内両村に於ては、これが盛大なる祝賀の式を挙げたものである。
当日、記者(この探訪記・コラム執筆者)も参列の為め日浦に向かう。同じく参列の土木部長一行に遅れた為め、根崎にて下海岸自動車の顧問沼田氏に迎えられ、途中黒島道議を拾い海岸道路に自動車を走らせる。昨年末戸井行の際に比して道路は幾分修理されて苦難を感じない。海には折からの炎天に昆布採取の船が群がっている。戸井を過ぎると原木へ向かう山道になる。自動車は通うものの尚完全な道路とは言い難く目下盛んに砂利を敷き詰めている。山道を下ると原木、せせこましい都塵に塗れた我等には山道の風光は明るい。
原木を過ぎると愈々新道で、海岸に沿って石垣を積み風浪に崩るるを防ぎ、完全な道路となっているが、大島土木事務所長をして「管内随一の難工事」と言わしめただけに、見るも恐ろしい岩山をくりぬいたが五ケ所(トンネルは原木一号から七号まで七か所)、しかし風光明媚は小耶馬渓(しょうやばけい)を思わせしめるに足る。
竣工せる道路は一哩七分一厘、二里の道路に二〇万円の予算で、この原木日浦間は難工事の箇所で一町(一〇九メートル)一万円を要したと言う。これらの点がこの地方道路の恵まれぬ一つの原因になっているのかもしれない。しかし、それだけ道路工事竣工の喜びは十倉尻岸内村長の(挨拶)所謂「旱天に慈雨の感を抱かせるに足る」であったろう。如何に住民が道路を要望しつつあったかは、当日の喜びが充分物語っている。しかしこの喜びとともになお村民にとって重要な問題が残されている。それは椴法華村に至る道路の速成である。尻岸内村の今日(きょう)の喜びは僅かに日浦までにすぎない。役場所在地の古武井までは、なお便船を求むるか山路を陸行しなければならない。尻岸内村が真に祝えるのはこの難が除かれた時である。
〈めぐまれぬ下海岸(下)〉
今日まで下海岸が斯く恵まれなかったのは、一つは村民の熱意の足らぬ事であったとは村長らのみとむる処で、事実そうであったらしい。運動らしい運動というのを聞かなかった。これは函館まで主として海運によっていたのが原因で、生産物の輸送は主として発動機船が利用された。しかし、それは決して充分な事ではなかった。かくて一部に道路の要請が出て今日に至り、漸くにして準地方費道の一部開通となった。道路が出来て一層に道路の必要性を感じたのは言うまでもない。今日では道路の要望をする声が頗る高まって来ている。現に本紙が数日前に報道した、函館と椴法華間準地方費道要請なる一文に、難所なる日浦峠の開削工事中であるが、聞く処によると、本年の予定は日浦峠の中半を以て打切り明年以後工事中止の由であるが、果たして事実とすれば、従前の施工は該路線の価値向上に何等の効果を齎(あたら)さぬこととなるを以て、当局に委曲調査を乞い道路の利用価値上、地方費道路に編入し全線にわたって開削速成の要が高められているという迄速成喚起の記事に対して、道路問題に対する反対記事と誤解し、その出所を求るような珍事さえあった。
それほど村民は道路の完成を待ち望んでいる。同方面が今日までこの熱心を持たなかったのは寧ろ不思議とすべきで、それらが延(ひ)いては今日まで及んだものであって、遅まきながら今日如上の熱意を以て事に当るは喜ぶべき事である。更に一段の運動のもとに速成の希望を達せられん事を祈るものである。しかも該方面は生産の豊富に依って何れの村も富み、珍しい位平和な生計が営まれているのみならず、風光の明媚又見るべきものあり。各所に温泉場を有し道路の開通により交通運輸の便を得たならば、都人士の一日の清遊に近郷稀なるものがある。目下の処は原木・日浦間に過ぎないが、これを古武井・根田内に通じ更に椴法華まで一貫するには相当の難工事もあるが、それらの目的を達するには村民一致の熱意こそ必要で、今日の意気を以て進むべきであろう。椴法華は現在村道の工事中であった。
道路の完成は下海岸一帯の発展のバロメーターとなるべきで、来るべき飛躍に備えるためには更に更に活動を必要とする。本年、該方面にとって恵まれたる事二つある。一つは土木部長が初めてこの地を見、如何に不便であるかを知った事、今一つは道路同様、要望やまない船入澗問題に対し、これ又開村以来初めて伊藤港湾課長の視察を得た事、この機会に際し運動を一層猛烈にして、目的貫徹の一日も早からん事を祈るものである。
このコラムにあるような見方−下海岸・とりわけ尻岸内・椴法華一帯に対する評価や課題は、原木・日浦間道路開通祝賀式に参加した道庁関係者や議員、あるいは新聞記者らにも共通した認識として映ったであろう。又、コラムにも引用されているが、大島土木事務所長をして「管内随一の難工事」と言わしめた、その難工事を克服した土木・技術者の自負心、加えて、十倉尻岸内村長の住民の心情に代わり「旱天に慈雨の感を抱かせるに足る」といった言葉が、以降のこの道路開削に強いインパクトを与えたものと推察する。