この幹線道路の大規模な改良は昭和40年以降になるが、脆弱な町村道は自然災害の度に多大な被害を受け、その都度小規模ながら改修してきた。以下にその詳細を記す。
○昭和二十年 古武井・磯谷線道路災害復旧工事(土木関係書類綴より)
昭和二十年四月二十日ノ驟雨ニヨリ御崎地区道路上方ヨリ大岩石(約四〇〇〇貫)落下、コノ工事以外ノ二〇七箇所ガ破壊、ソノ儘放置スルニ於テハ益々破損スルノミナラズ、延テハ交通運輸上速ニ復旧ノ要アリ。財政困難ナル折柄急速施行ヲ要スルモノナリ。
〈事業計画〉 延長二〇〇米七三糎ヲ上部一・五米、空積雑割石垣トシ面三〇糎・控長四五糎ノ積石ヲ用イ原形ニ復セントス。此総工費八千円ヲ請負ニ依リ施行スルモノナリ。
・工 期 昭和二十年五月三十日着手、同年六月十二日竣工
・費 用 地方資金借入(償還期限二十一年~三十年まで一〇か年・利率年三分二厘)
・借入先 大蔵省資金運用部
○昭和二十一年 中野崎道路災害復旧工事(事務引継関係書類綴より)
本工事ハ本年着工ノ予定ニテ、既ニ本年度予算ニ此ノ工費、六万八千六百六八円ヲ計上シテアリ、而シテコノ財源ハ地方費補助、五万二千三百三五円、村債一万三千円、一般方入金三千三百三六円ノ予定ナルヲ以テ年度内施行御取運ビアリ度ク。
○昭和二十二年 道路及び護岸災害復旧工事(土木常任委員会資料より)
(一)古武井磯谷線道路災害復旧工事
町村道古武井・磯谷線は海岸ニ沿イ海面ニ直立シテ、石垣築ニヨリ造成シ、本村字日ノ浜ヨリ御崎ニ至ル唯一ノ幹線道路トシテ沿岸約五百戸アリ。再三ノ暴風雨襲来、其ノ都度激浪ノタメ被害箇所ハ益々増大ノ虞あり、コレガ交通途絶エラルルニ於テハ、唯一ノ交通ヲ失イ、東部落五百戸余リノ住民ハ生活上、将来産業情ニ一大脅威ヲ受ケルノミナラズ、生産拡大ニ大ナル嗟跌ヲ生ズルモノナリ。
[表]
(二)女那川護岸災害復旧工事
護岸災害箇所ノ本村字女那川ハ昭和二〇年九月一八日ノ大降雨ノタメ、河川右岸流水浸食ヲ受ケ左岸築堤破壊セラルルトキ、本村唯一ノ平原耕作地又市街地等民家ニ及ボス被害甚大ニ上ル憂アリ、誠ニ急迫セル事態ニアル。
[表]
・昭和二十二年起債申請総額 一、二五五、〇八一円 以上
(起債申請書類綴より)
○昭和二十三年 道路及び護岸災害復旧工事(起債申請書類綴より)
(一)古武井・磯谷線道路災害復旧工事
〈災害復旧工事理由〉・昭和二十二年と同文につき省略
[表]
(二)女那川及び恵山川護岸災害復旧工事
護岸災害箇所の本村字女那川及び恵山川は昭和二十二年十月十一日の大降雨のため、同時に山津波のため護岸決壊し、付近民家は日夜不安に襲われ、今後降雨あればこの被害益々増加すること目前に迫りつつあり、急速に復旧を図らんとす。
[表]
・昭和二十三年起債申請総額 二、九八九、二四六円 以上
(起債申請書類綴より)
○昭和二十四年 道路及び護岸災害復旧並びに道路改良工事
(起債申請書類綴より)
(一)昭和二十四年度施工計画の町村道古武井磯谷線道路復旧工事
本路線は準地方費道の函館・椴法華線の古武井本線より分岐し、本村字御崎に通じる唯一の路線にして災害箇所「四ケ所」は、昭和二十四年一月一、二日及同年二月四日の両日の南東の風速二五メートルの台風化にともなって押寄セル太平洋ノ巨浪が、道路の石垣路面を乗り越え背面の岩上に激突し、大小の岩石を落下せしめ、海辺の岩石を石垣に激突せしめたるため、既設護岸及び道路の大半決壊し交通途絶するに至れり。
[表]
(二)昭和二十四年度施工計画の字豊浦宮の沢及び字日浦日浦川河川護岸災害復旧工事
本村豊浦所在宮の沢河川及び日浦所在日浦川河川護岸は、昭和二十四年二月六日の豪雨に依り、河川の左右岸に流水の浸食を受け、既設護岸が全く破壊せらるに至り、これを放置せば市街地民家に及ぼす被害の甚大なる憂あり。且つ下流にある準地方費道の橋梁も流失の危険あり、緊急に復旧を要するものなり。
[表]
(三)町村道古武井磯谷線、古武井(船入澗付近)道路改良工事
本道路は準地方費道函館・椴法華線より分岐し、古武井本村より古武井船入澗を経由、字御崎を終点として恵山温泉に通ずる路線の一部にして、漁獲物その他物資の輸送頻繁にして、函館・恵山間の乗合自動車も運行し、日々その度を増す現状なるが、路面は極度に凹凸が多く、路面拡張並びに砂利敷工事、橋梁の架け換えをしないと甚だ腐朽し、通行上危険なるため急速に復旧をなす。産業上、又観光道路として地方経済発展に貢献せんとするものなり。
[表]
(四)町村道古武井恵山線、恵山小学校通学道路改良工事
本道路の改良区間は恵山市街地より高台の恵山小学校を経て、道南随一の恵山温泉に通ずるものの一部で、高台には耕地三十町歩を有するに、毎年融雪並びに降雨時毎に急坂路は流水のため浸食され、現在殆ど路面の構造も認めぬまでの悪路となり、車馬の通行は不可能にして徒歩通行の他なき状態で、将に冬期にありては通学児童の通行さえ危険となりたる、以て本改良計画をなしたるもので、完成後は通学道路併せて産業観光道路として地方経済発展上多大なる利益を期待せんとするものなり。
[表]
(五)町村道女那川沿道路の荒砥冷水道路改良工事
本道路は地方費道函館・椴法華線より女那川本村に於て分岐し、字荒砥石を経由冷水に達する道路の一部で、本村随一の農林産物の搬出道路で、その利用度大なるものあり、現在本改良区間は路面悪しく且つ路幅狭隘な処が各所にあるため、車馬の運行不可能で、奥地寄りの林産物搬出は不可能状態なるを以て、急速に整備をなし地方経済発展に貢献せんとするものなり。
[表]
・昭和二十四年起債申請総額 七、四六四、〇〇〇円 以上
(起債申請書類綴より)
○昭和二十五年 道路及び護岸災害復旧並びに道路改良工事
(起債申請書類綴より)
(一)町村道古武井磯谷線道路復旧工事
〈災害復旧工事理由〉・昭和二十四年(一)と同文につき省略
[表]
(二)河川護岸災害復旧工事
①大澗地内・宮の沢川右岸災害復旧工事
(建設省審査定番号第五六四号)
本箇所は昭和二十四年九月二十三・二十四日の両日に亘る豪雨出水のため一・五メートルの大増水となり、濁流は本河岸に激突せるため旧河岸より約二五メートルの畑地は湾曲流失するに至り、此まま放置する時は再度出水の都度益々浸食され、背後民家の流失は明らかなるにより急速に復旧を要するものなり。
②日浦地内日浦川筋右岸護岸災害復旧工事
(建設省審査定番号第五六三号)
本箇所は昭和二十四年九月二十三・二十四日の両日に亘る豪雨出水のため二・五メートルの大増水となり、濁流は本石垣工に激突せるため、川底洗掘さる共に破壊流失するに至り、此まま放置する時は再度出水の都度、既設石垣工の破壊の度を増し遂には民家の流失の虞あるため、急速に復旧を要すものなり。
[表]
(三)町村道古武井磯谷線区間及女那川沿道産業道路改良工事
〈災害復旧工事理由〉
・昭和二十四年(三)(四)(五)と同文につき省略
[表]
・昭和二十五年起債申請総額 六、三九八、〇〇〇円 以上
(起債申請書類綴より)
○昭和二十六年 道路改良事業
古武井・磯谷線改良工事 三〇、〇〇〇円
女那川・荒砥線村道改良工事 二〇、〇〇〇円
・昭和二十六年 合 計 五〇、〇〇〇円
○昭和二十七年 道路橋梁改良事業
[表]
[表]
本村内各路線の道路はいずれも沿岸漁村特有な唯一の幹線である。水産物はもとより鉱物・林産物の生産道路であるが、道幅狭隘にして凹凸甚だしく、諸生産物の搬出はもとより歩行さえ意の如くならず。且つ本道路線内に架けられたる橋梁は架換後、相当年数を経て腐朽しており車馬の通行上危険となり、現在は補強工作をなし辛うじて維持している実態であるので、これが改良工事を施行せんとするものである。
◎昭和三十一年 町村道単独災害復旧工事
(一)村道単独災害復旧工事
古武井・磯谷線は村内随一の産業道路なり。昭和三十一年三月十六・十七日の両日に亘り暴風雨が来襲し、高潮を伴って波浪は益々激化し、道路護岸に激突し既設石垣を破壊流失に至った。
由来この沿道は道路人口約六千を有し、水産物、鉱産物及び食料品の輸送など交通量も極めて多く、一日も交通途絶のできぬ状況にあるので、これが早急復旧事業を起こし安全交通を確保せんとするものである。
・昭和二十七年災害 七〇一号 古武井地内(菅野宅下) 延長二〇メートル
・昭和三〇年災害 八六二号 高岱地内(中野金太郎宅前)延長五七メートル
・昭和三十一年災害 五〇三号 古武井地内(大坂宅前) 延長四一メートル
一五〇五号 御崎地内 延長一七メートル
一五〇六号 〃 延長三〇メートル
総工事費 一、一一八、〇〇〇円
(二)宮の沢川護岸災害復旧工事
[表]
○昭和三十三年度 道路災害復旧工事
本年度において、二二号台風により本村は開村以来最大の被害を受け、災害救助法が発動せられ、最悪の事態は回避し得たが、公共施設の被害著しく、なかんずく、村道古武井・磯谷線道路は全長七キロに亘り、原形を失う被害を受け交通運輸は勿論のこと、一切の機能を停止するの状態に陥った。
これがため三ケ年の復旧計画により、国庫補助のもとに一億数千万円を投じ災害復旧事業を起こさんとするものである。
○昭和三十三年度 道路災害復旧事業
本村唯一の産業幹線道路である道々函館・椴法華線及び村道古武井・磯谷線は何れも海岸に沿った道路であり、その災害度数も多く着々整備中のところ、昭和三十三年八月十七日及び十八日、連日一四八ミリに達する降雨あり、河川氾濫して橋梁が流失し、又、土砂崩れのため道路護岸を欠損し、これを復旧しなければ生産物や生活用品の輸送が困難となるので、村民生計上由々しき事態になるので早急に復旧せんとするもの。
○昭和三十四年度 駐留軍返還道路の補償復旧事業
(一)路線名 「村道柏野線」
(二)被害原因 本路線は産業及び観光道路として重要視されていたことから比較的整備されていたが、昭和三十一年に至り駐留軍がこの道路を利用して当村恵山に「極短波中継所」を設置したため、既設道路幅員では不十分となりブルドーザーで切り崩し路面の拡張を行った。この際、側溝の整備を行わなかったため、溝水は常に路面の凹凸を縫って流水、また、駐留軍の重量車両運行が激しかったため路面の凹凸も甚だしく、その都度当村に於て補修を行ってはいたが、道路拡張時の側溝埋没のため降雨の際、雨水は路面を流れて表土を押し流し、岩石のみが残る状態で延長三キロに亘り損害を受けるに至った。
(三)被害状況 村道柏野線は、大正九年村道として認定され、本村二五路線中、古武井磯谷線に次ぐ村内重要道路として利用され、本村に於て毎年相当多額の財政支出をなし、当該路線の整備を期してきたが、駐留軍使用以来前記のとおり、道路全般に亘り重量車両の運行とブルドーザーによる路面拡幅のため側溝は埋没し、岩石のみが残る状態で車馬の交通も不能の状態にある。
[表]
○昭和三十六年度 村道「古武井磯谷線」災害復旧事業
○昭和四十年度 辺地等公共施設的整備事業
[表]
○昭和四十年度 辺地対策備事業
(一)通学道路
御崎地区は市街地が孤立しており、本町との連絡路線としては町道恵山御崎線よりなく、小・中学校児童生徒はもとより農水産物の搬出に大きな役割を果たしているが道路が崖沿いのため、降雨期は落石、時化の時には海水が路面を洗い、交通が途絶えることもしばしばである。このため、通学児童生徒の安全を図り、併せて産業振興のため本工事を施行せんとするものである。
(二)林道 (三)道路改良
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