箱館港の盛衰

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 高田屋嘉兵衛の事業と共に発展した箱館も、嘉兵衛没後の天保4年(1833)2代目金兵衛がロシア船との幟合わせの罪(現在の船舶法違反)で没落後、商況は極端な不振に見舞われる。しかし、嘉永7−安政元年(1854)、日米和親条約が締結調印され箱館・下田開港にペリーの率いるアメリカ艦隊が来航、安政5年(1858)には日米修好通商条約が調印され、翌、6年、箱館は自由貿易港として神奈川(横浜)・長崎とともに許可され、以降、国際貿易港として再び賑わいを見せた。