目次
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第5編 交通・通信
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第1章 交通
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第10節 海上交通
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3、開拓使・明治政府の海運政策
箱館港の盛衰
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高田屋嘉兵衛
の事業と共に発展した
箱館
も、嘉兵衛没後の天保4年(1833)2代目金兵衛がロシア船との幟合わせの罪(現在の船舶法違反)で没落後、商況は極端な不振に見舞われる。しかし、嘉永7−安政元年(1854)、日米
和親条約
が締結調印され
箱館
・下田開港に
ペリ
ーの率いるアメリカ艦隊が来航、安政5年(1858)には日米
修好通商条約
が調印され、翌、6年、
箱館
は自由貿易港として神奈川(横浜)・
長崎
とともに許可され、以降、国際貿易港として再び賑わいを見せた。