錦帯城主蠣崎信純渡島直前の下北豪族配置図
この地図は、下北大畑の笹沢善八(魯羊(ろよう))が昭和十一年八月に刊行した『東通村誌』に載っていたものを現在の地図に合わせて筆者が書き直したものである。
原図には「丁丑八月、中津川七郎右衛門写之」という署名がある。丁丑は「康正三年」で、蠣崎蔵人信純(後の武田信広といわれている人物)の居城、錦帯城(きんたいじょう)、北部(きたべ)王家の居城、順法寺城(城ケ沢)新谷平(田名部)の新屋形、御花御殿、その他下北諸豪族や土豪の配置状況を書いた誠に貴重な地図である。
然し方角、方位、距離などを正確に測(はか)る機械も技術もなかった時代に下北の沿岸を歩いて書いた地図なので、下北半島全体がムカデのような形で書かれているので、極めて不正確なものである。下北の地名や歴史を知らない人にとっては全然興味のない地図だが、下北の歴史や下北と道南との関連を調べる人にとっては誠に貴重な地図である。
コシャマインの乱以前の下北の村々の名、下北地方の城、館、柵(さく)などの名や領主、館主などの名が細かく書かれていることは、下北地方だけではなく、道南草創の頃の歴史を調べる上でも貴重な資料である。
記号のうち〓は大きな城□は小ちな城又は館、キは柵と思われる。この地図によって、この頃の地名を知ることができるし、城主、館主、柵主の姓が、後世そのまま地名になったものもあることがわかる。
大きな城では、「北之御本城・鶴崎山順法寺城(今の城ケ沢)」「北部王家の新屋形・御花御殿(今の田名部、新谷平)」「蠣崎の錦帯城」などであり、小さな城では「松村・小御所」「波多(はた)城」「目名見城」「音羽城」などである。
又館では「福浦のショウコン寺(佐々木茂作)」「矢越(矢越十郎)」「木石(原田舎人)」「奥戸のセウ宮(奥戸貴太夫)」「蛇沼(蛇浦)(蠣崎主膳、秋田外記・久城三郎兵衛)」「湯野沢(下野沢(下風呂)(蠣崎主税、北川突呂賢)」「湯本(蠣崎三郎右衛門、桧山弾正領、奥沢大学持)」「御釣屋(波多因幡(いなば))」「正津川(正津川弾正)」「大関(大谷弥五郎)」「立廻関(中律監物)」「鬼門崎(鬼兜修理)」「大崎(鬼沢主膳)」「オロシヤ(大杭員)」「鬼沢(サンタン、大杭桂)」「八森、鬼フカ、狐森(原藤右衛門)」「車返宿(石堂丹後)「「桧川(桧川弾正)」「タニケン(八角路入道)」「湊(湊立雪)」「宇田川(宇田川常陸(ひたち))」「川守(川守七郎)」「オナベ平(佐藤勘衛、赤星太郎)」「田名部(たなべ)(田名部上総(たなべかずさ))」「奥内(奥内九郎、中山喜助、横山杢)」「横浜(横浜勘解由(かげゆ))」「小野平(負虫刑部)」「メトリ(菅主水(もんど))」「大湊(大湊三太夫)」「白糠(しらぬか)(白糠武蔵(むさし))」「音波(福士備前入道)」「玉藻川(たまもがわ)(高梨五郎)」などである。
原図の中で不明の文字が若干あり、現代の地図と照合して見て不明な場所も若干あるが、康正年間前後の歴史を調べるための貴重な文献である。
康正三年の地図を知名の順に表にすると次のようになる。
○大間から東、尻屋崎まで
地名 | 城主又は館主 | 摘要 |
大間 | 牛一五〇〇頭 | |
トツロ内 | 三、七〇〇人 | |
蛇沼 | 蠣崎主説 | |
秋田外記、久城三郎兵衛 | 兵糧一八二、〇〇〇石 | |
湯野沢 | 蠣崎主税領、北川突呂賢 | 一二、〇〇〇余人 |
湯本 | 蠣崎三郎右エ門 | |
垢川 | ||
御釣屋 | 桧川弾正領、鬼沢大学持 | |
波多 | 波多因幡 | 中津川から正津川まで |
正津川 | 正津川弾正 | |
立廻関 | 中津監物 | 鳥沢(からすざわ)、千鳥島 |
大関 | 大谷弥五郎、横島喜エ門 | |
大万家湊 | ||
小金 | 目波右京 | |
入口 | ||
岩屋 | ||
難波崎 | 今の尻屋崎 |
○大間から南、脇野沢まで
地名 | 城主又は館主 | 摘要 |
セウ宮 | 奥戸貴太夫 | 兵糧六五、〇〇〇石 |
木石 | 原田舎人(とねり) | |
佐井 | サンタン牛一、五〇〇頭 | |
矢越 | 矢越十郎 | 遠望観 |
シヨウコン寺 | 葛西 | 三〇、〇〇〇石 |
福浦 | 佐々木茂作 | 五〇〇人 |
鬼門(きもん)崎 | 鬼兜修理(おにかぶとしゅり) | |
大崎 | 鬼沢主膳 | |
オロシヤ | 大杭貝 | 五〇〇〇余 |
鬼沢 | サンタン大杭桂 | 一五、〇〇〇 |
八森 | ||
鬼フカ | 原藤右エ門 | |
猿森 |
○馬留(殿崎)から西、安渡(大湊)まで
地名 | 城主又は館主 | 摘要 |
馬留 | 殿崎 | |
蠣崎 | 蠣崎蔵人信純 | 錦帯城 |
車返宿 | 石堂丹後 | 宿野辺一二〇〇人 |
桧川 | 桧川弾正 | |
内桧川 | 川内、目代所 | |
田沢 | 遠望観 | |
タニケン | 八角路入道 | |
順法寺 | 北部王家義純 | 鶴崎山順法寺城北の御本城(城ヶ沢) |
湊 | 湊立雪 | |
宇田川 | 宇田川常陸 | |
川守 | 川守七郎 | |
安渡 | 目代所 | |
オナベ平 | 佐藤勘衛(かんえ) | |
赤星太郎 | ||
松村 | 小御所 | |
新谷平 | 北部王家 | 新屋形、御花御殿 |
田名部(たなべ) | 田名部上総 | |
奥内 | 奥内九郎 | |
中山喜助 | ||
横山木工 | ||
横浜 | 横浜勘解由(かげゆ) | |
横平 | ||
小野平 | 負虫刊部 | |
メトリ | 菅主水(すがもんど) | |
小山兵部 | ||
津軽 | 七堂三、七〇〇入 |
○難波崎(尻屋崎)から南
地名 | 城主又は館主 | 摘要 |
ヒモトリ浜 | ||
大湊 | 大湊三太夫 | |
大幣 | 目代所 | |
野沢三郎 | ||
白糠(しらぬか) | 白糠武蔵(むさし) | 目名見城 |
音波 | 福士備前(びぜん)入道 | 音波城 |
玉藻(たまも)川 | 高梨五郎 | 仏岩 |
ウキタイ |