戸井町の漁業協同組合の沿革については、比較的新しい時代の資料より入手が困難であり、従って、組合草創の頃の沿革は地元古老の記憶と残された僅かの資料によって整備するほかはないのである。
そもそも戸井町の漁業は本州下北半島を指呼の間に望み、箱館(函館)を下ること僅か二九キロメートルという地理的立地条件により、早くから和人による操業も行なわれていたが、全道的に見られる現象として網元や資本家による独占的経営と場所請負制度によるアイヌ人との交易による商業的利益は一般漁民の生活を潤すものではなかった。
明治九年(一八七六)に場所請負人制度が廃止され、定着して自由に漁業を営むものが多くなり、明治一九年北海道庁がおかれてからは水産税規則が改正されて大巾な減税が実施され漁業生産も急速に伸長した。
しかし、明治時代の漁業は明治三〇年代を境として鰊や鮭の生産高が減少しはじめ、今までの待機型漁業から沖合漁業へと発展する反面、漁場争いが起り、沿岸漁業の管理規制も必要になってきたのである。この漁業権の行使を許可されたのが地元漁村部落の組織である「漁業組合」であったのである。