現在の戸井警察署
戸井警察署は、明治二十年(一八八七)五月亀田警察署の附属分署として設置されたものである。その後明治二十二年(一八八九)四月に尻岸内村字澗、明治二十三年(一八九〇)四月、椴法華村に、明治三十一年(一八九八)一月、尻岸内村字根田内に、明治三十九年(一九〇六)五月、戸井村大字小安村字汐首に、それぞれ巡査駐在所を設置した。又明治四十三年(一九一〇)五月、尻岸内村字古武井の浜中に巡査駐在所を設置し、同年六月根田内駐在所を廃止して古武井駐在所に併合した。
越えて翌明治四十四年(一九一一)五月、尻岸内村字古武井の武佐沢に双股巡査駐在所を設置し、大正元年(一九一二)十一月、戸井村字弁才澗の足達敬太郎宅に駐在所を設置して、瀬田来地域を受持たせた。この時同時に戸井村大字小安村字村中に、村中駐在所を設置して、汐首駐在所受持区域のうち字村中と釜谷区域を受持たせた。
大正二年(一九一三)五月には尾札部巡査駐在所が、大野分署から戸井分署所属となり、大正五年(一九一六)一月、森警察署に転属になるまで、尾札部駐在所が戸井分署に所属したのである。
このように戸井警察署は、明治二十年代から大正初期の頃まで、尻岸内村、椴法華村の各巡査駐在所を管轄し、又一時的ではあったが尾札部村の駐在所をも管轄したのである。
この頃の戸井警察署は、下海岸唯一の警察分署で、分署長には巡査部長、警部補又は警部が配置され、下海岸の大小様々な事件を取扱ったのである。警察行政一つを調査して見ても、昔の戸井村は下海岸の中心町村であったことがわかる。
戸井警察署に保存されている昔の記録を調べて見ると、下海岸に発生した海難事件、殺傷事件、火災、船舶遭難事件などが実に克明に記録されている。