(2)明治時代の亀田郡長と函館支庁長

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 明治時代になってから蝦夷地が北海道と改められ、明治十四年まで北海道開拓使が置かれ、明治十五年から札幌県、函館県、根室県の三県に分けられ、三県制は僅か三ヶ年で廃止され、明治十九年から北海道庁が置かれるというように行政制度が猫の目のように変り、その度毎に行政組織や行政庁の名が変った。
 戸井や小安茅部郡に属していたこともあり、支庁も亀田支庁になったり函館支庁になったりした。同じ支庁という名でも開拓使時代の函館支庁あり、北海道庁時代の函館支庁もある。函館県時代は支庁がなくなり郡を幾つかまとめた郡役所が設置され、郡長がおかれた。
 北海道庁時代になってから、明治三十年十一月の行政改革で郡役所、郡長を廃止して、全道を十八支庁に分けた。この時の道南の支庁は、函館・亀田・松前・桧山などの四支庁であった。明治三十二年十月、全道十八支庁の統廃合が行われ、亀田、松前の両支庁が函館支庁に統合された。
 このような行政機構や官庁名などの変遷をよく知っていて明治時代の記録、文書、文献などを見ないと頭が混乱する。道南の明治時代の歴史を調べる場合は、このことを十分に頭に入れる必要がある。
 戸井町を例にとると
  ① 開拓使時代には、戸井村、小安村が函館支庁の茅部郡に所属したことがあり、函館支庁茅部郡戸井村(小安村)という記録や文書に接することがある。
  ② 三県時代は、函館県亀田郡に属し、支庁がなくて、郡役所は亀田郡外三郡役所と称し、役所は七飯村に置かれた。戸井村は函館県亀田郡戸井村と称した。
  ③ 北海道庁時代になってから、明治三十年十月までは、函館県時代と同じで、函館は函館区と称し、役所を区役所と称し、郡は役所を亀田郡外三郡役所と称した。
 明治三十年十一月からは、区と郡の名称はそのままであったが、全道の郡役所を廃止して十八支庁を設置し、戸井村は亀田支庁に所属した。従って戸井村は、亀田支庁亀田郡戸井村となった。
 明治三十二年十月、十八支庁の統廃合が行われ、亀田支庁が函館支庁に統合された。従って戸井村は函館支庁亀田郡戸井村になった。
 明治時代の歴代亀田郡長と函館支庁長は次の通りである。
 
  1 亀田郡長
 初代  広田 千秋  明治十三年から明治十七年まで
 二代  片岡  新  明治十八年から明治二十年まで
 三代  森  源三  明治二十一年から明治二十三年まで
 四代  木村 広凱  明治二十三年から明治三十年まで
      (第四代亀田郡長木村広凱は郡長退任後、明治四十年から一級町村七飯村長に就任し、大正五年まで十年間七飯村長を勤めた)
 
  2 函館支庁長
 初代  竜岡 信熊  明治三十年十一月から明治四十二年八月十日まで
 二代  河毛 三郎  明治四十二年八月十日から大正二年七月十日まで
     (河毛支庁長は小樽支庁長から函館に転勤した)
 三代  県   忍  大正二年七月十一日から(退官年月日不詳)