明治十四年

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・五月 森村から山越内村にかけて未曽有の鰊豊漁となる。中でも石倉の大漁が抜きん出ていた。この頃椴法華村民の中には船ごと短期間、森・茅部方面の鰊漁に出稼に行く者があった。
・七月一日 開拓使税制を定めて、営業税・雑種税・戸数割税を賦課する。
・七月二十九日 椴法華尻岸内・戸井・小安の四村、長年の悲願であった茅部郡から亀田郡への編入を認められる。
 
   第四十八号
  當庁管下渡島國各郡村ノ内左ノ通分割組替候此旨布達候事
   明治十四年七月二十九日
  函館支庁開拓権少書記官 有竹 裕
  渡島茅部小安村・戸井村・尻岸内村・椴法華
     右四ケ村 渡島國亀田郡へ編入

椴法華村の亀田郡編入 明治14年8月2日函館新聞(函館図書館蔵)

・八月三十日 明治天皇北巡のため小樽へ御上陸九月二日札幌を御出発、室蘭より森に航し六日函館に御着、七日青森へ御出発。
・十一月二十一日 函館の川崎船日浦沖で暴風のため破船、一名溺死。(この頃から本村へも川崎船は来航するようになったものと推定される)
・この年北海道官有物払い下げ事件発生。
 薩摩出身の開拓使長官黒田清隆は、政府の官営事業払い下げの方針に添って総額約千四百万円に及ぶ開拓使の事業を、約三十万円の三十年賦で同郷の五代友厚等の関西貿易商会に払い下げようとしていた。
 七月二十七日黒田長官は北海道開拓使官物払い下げを申請し、二十九日払い下げを決定する。これを知った国民は各地で反対運動を起こし、国会開設運動に油を注ぐことになった。
 こうした情勢の中で、中央では遂に十月十一日御前会議が開かれ、十二日、国会開設を明治二十三年に決定すること、大隈重信を官より退けること、北海道官有物払い下げを中止すること等が国民の前に発表された。かくてこの問題はようやく結末をみることになった。