・一月十四日 渡島地方豪雨に見舞われ、このため椴法華村でも他村との陸上交通が途絶する。
・一月 椴法華村の鰊場行き出稼者が減少する。昨年烏賊漁・鰮漁・鱈漁ともに相応の収獲があったため、下海岸地域の出稼者が減少する。また青森方面も豊作に恵まれたため出稼者が減少し、このため前年の出稼賃二十円よりこの年は賃金三十円と称されるようになる。(明治二十四年一月二十三日、函館新聞を参考とする)
・二月 北海道議会設立の請願書が帝国議会に提出される。
・九月一日 上野・青森間鉄道全通。
・この夏、昆布採取・烏賊漁ともに薄漁となる。
昆布漁-例年であれば土用入りから天候良き日をえらんで採取するが、本年は天候不順のため九月五日までに二日間より採取できずまったく薄漁となる。
また烏賊漁も頗る不漁で本州方面からの出稼者の中には、帰国のための旅費さえも差支える者が出るような有様となる。当時の新聞は烏賊不漁のため出稼者が困窮している様子を次のように記している。
明治二十四年十一月一日 函館新聞
烏賊釣の困難
本年當港烏賊不漁なる為、佐渡・新潟地方より出稼せし漁夫は歸國の旅費にも差支へ甚(はなはだ)しきは借金出来たるものあり、為に出稼漁夫大凡五千人許の内千人位は前記の始末に帰國する能はず、當地に残れり又此頃は旅費のある漁夫皆歸國するに付、郵船會社以外の小汽船は競争を始め四圓位なりし賃銭が二圓四十銭に下落せり去れど大勢なれば一航海に千圓以上の収入ある由、此等の漁夫は例年五六十圓も懐にして帰る者あるは今年右の始末なるは實に気の毒なり。
なお鯣(するめ)は香港相場が安いため品不足にもかかわらず値が安かった。
このように昆布漁・烏賊漁が不振であり村民の生活を不安定にしたが、夏鰮漁がまずまずでなんとか乗り切り、秋鰮漁が大漁に恵まれる。特に十一月から十二月初めにかけて大漁となり、その他十二月に入って新鱈・塩鰤の値が良かったため村民はようやく明るさを取り戻すような有様であった。
[表]
・この年頃より、下海岸地域では汽船による海運がはじまる。
・この年、上半期不況のため全国的に銀行の休業が続出する。