明治二十七年

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・二月十日 消防組規則公布(勅令)
 全国の町村に消防組が任意に組織されるようになる。(椴法華村結成されず)
・この春、茅部海岸に於いて茅部鰊及び鰮豊漁となる。
・三月末 朝鮮で東学党蜂起。
・四月十五日 道庁考案の普通鱈漁用改良川崎船竣工。(『新北海道史』第九巻)
・六月五日 大本営を開設。
・六月七日 日本政府、朝鮮出兵を清国に通告。
・この年、駐清国公使兼駐朝鮮公使大鳥圭介東学党の乱や日清戦争の外交工作に大活躍する。
・七月十三日 沢田光長・岩鼻敏・赤井川鉱山の採掘許可を得る。
・八月一日 清国に宣戦を布告する。
・九月十七日 黄海において日本連合艦隊と清国北洋艦隊の海戦となり、連合艦隊は清国軍艦五隻を撃沈し制海権を確保する。
・十一月二十一日 日本軍旅順口を占領する。
・この年、秋、戦争のため北海道航路の船が軍用船として借り出されたため、貨物運賃が急上昇しかつ貨物に滞貨が生じ、これに影響され道内に急激な物価上昇がみられ庶民の生活が圧迫されるようになった。
 また日清戦争の開始と同時に函館の清国海産物業者が帰国したため清国向け海産物貿易ができなくなり、昆布・するめ・いりこ・等の値が暴落を起しこれもまた漁民の生活を大きく圧迫する原因となった。
・この年、「雪の進軍」・「勇敢なる水夫」等の軍歌が流行する。
・この年、ベースボールの訳語として『野球』の語が使用される。