明治三十三年

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・二月一日 椴法華郵便局を島百五十六番地へ設置。小包の取扱いを開始する。
・三月 十一日から十三日にかけて道南一帯大風雪となり椴法華村の交通途絶する。
・春、北海道西海岸の鰊、大凶漁となる。
・五月十五日 北清事変・清国で義和団蜂起。
・五月二十三日 函館要塞司令部設置。
・六月十五日 政府清国に派兵を決定する。
・六月二十一日 清国、北京に出兵した各国に対して宣戦を布告する。
・六月十一日 北海道庁令第七十七号消防設置令公布。
 この法令により各町村は消防組を設置し、年二回の消防演習を実施しなければならないことを義務づけられる。かくて椴法華村にも七月一日より消防組が結成されることになり、小寺富太郎が初代組頭となったが、消防組員(団員)の成り手が得られず、青年男子の中から抽選で決められたと云われている。
・七月一日 函館要塞地帯施行規則を実施する。この規則により函館山及び戸井附近を函館要塞司令部の許可なく、測量・写真撮影・模写をすることを禁止される。
・七月 夏烏賊函館近海不漁となる。
 このためか東北地方・宮古方面からの出稼者達が椴法華村に多数来村する。
・この年、上半期北清事変の影響を受け、農産物の輸出が減少し大暴落を起し、更に水産物の値も下がり本道農漁民の生活を不安に陥れる。
・この秋、鰮豊漁に恵まれる。宮古方面からの出稼者の大部分はこの時まで働く。
・夏より商況は次第に回復を見せはじめたが、生活必需品などの物価は上昇を続けたため、庶民の生活はより苦しくなる傾向がみられた。『函館の履歴書』(元木省吾著)によれば(要約)、『明治二十一年の物価を百とすれば、本年(明治三十三年)三月は、百九十一で庶民生活こまる』と記されるような状況であり、これより更に物価上昇があった訳であるからその労苦が察せられる。なお同書によれば函館では、米一俵弘前米十一円七十銭・津軽米十三円であったと記されている。
・この年、『幼年唱歌』・『金太郎』・『桃太郎』・『花咲爺』・『浦島』・『兎と亀』が作曲される。また『軍艦マーチ』も作曲される。