この年三月から金融恐慌がはじまり、期待のいか漁は夏期余りかんばしくなく、十月に至り豊漁となったが、こんどは価格が暴落し村民の経済状態はますます悪化する傾向にあった。大正九年・十二年と続いた不景気のあたりから、椴法華村では以前より多数の村民が、樺太・千島及び道内の各地の鰊場・炭鉱等に出稼に出る傾向があり、この年の不景気の様子では、村民の経済状態が更に悪化することが予想され、これに伴って出稼者も増大することが推定された。このため漁業組合では出稼防止策として、共同購買事業資金及び資金貸付事業の起債を申請し、なんとかこの急場を乗り切ろうとしていた。次に当時の新聞記事からの内容を記すことにする。
昭和二年十一月十一日 函館新聞
出稼防止策に起債認可申請
椴法華漁業組合の計劃
亀田郡椴法華漁業組合は今回共同購買事業資金並に資金貸付事業として一万圓の起債方を渡島支廳へ請願し來れるか借入先は銀行或は政府よりするものなりと云ふ而して右事業の目的を以つて、漁業組合が起債を申請せるは渡島支廳管内として始めての事で之が認可の有無は將來の前例ともなることで慎重審議を加へてゐるが希望額に達せずとするも兎に角起債認可の運びに至る模様である椴法華漁業組合が此起債を申請するに至りたるは由來同地方の漁民は例年二月中旬より六月下旬に掛けて後志支廳管内へ出稼ぎするを常とし此中早帰者は地先水面專用漁業權に属する海蘿・銀否草・昆布採取等をするも九月中旬に至りて歸村するものは僅か二・三箇月の短間のみ柔魚漁業に從事する結果一箇年を通じての収入は出稼きせずして地元の漁業に從事するものに比せば其額甚だ少く然るにも拘(かかわ)らず出稼するのは仕込融通関係より止むなく出稼の擧に出づるもので此の傾向は沿岸漁業の発展を将來阻止すると共に漁村の活動を危殆(きたい)ならしむる憂ありとし茲に共同購買事業を施設して物資の供給を図り地元にあつて沿岸の雑漁に從事せしめ漁民の出稼を防止し從來の一般仕込供給に関する悪幣を破りて獨立自営を圖らしむるにあるといふ。
(文中に後志支庁管内を主な出稼先としているが統計的には千島・樺太等への出稼も多数あった。)