運上屋と番屋

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 さきにも記したように、元文四年(一七三九)頃から交易が盛んになり、交易場には知行主に依って運上屋又は番屋(運上屋の小規模のもので、交通の要地に置かれた建物)が建てられ、知行主は次第にこの運上屋に一時的に滞在し、地域住民から運上金(一種の漁業税)を徴収するだけでなく、地域住民を支配するようにもなった。このためこの頃まで曲がりなりにもアイヌ人の手中にあった自治権は次第に知行主の手に渡るようになっていった。
 その後知行主は自分では知行地におもむかず、かつて仲買商人的仕事をしていた請負人に、場所を任かせるようになり、次第に場所を治める実権は、知行主から場所請負人の手にゆだねられることになった。即ち場所請負人は知行主に一定の運上金を支払って、漁業や交易を行い、のちにはその場所の行政権さえ持つに至ったのである。
 この頃になると、はじめは交易の場として造られた運上屋も、交易場としての性格を失い、請負人の漁業経営の場となり、官用書状の継立、官用旅行者の宿、その他の公用の取り継ぎも行い、地域における御役所のような性格を持つようになった。なお運上屋には責任者として支配人がおり、その下に通辞(アイヌ人の通訳)、帳役(帳簿係)などがいた。このほかに場所請負人は、漁業労働力確保のために、アイヌ人集団の組織化に努めて、乙名・脇乙名・小使・土産取などの役を定め、漁業の指図や監督に当らせていた。
 ○乙名   アイヌ人酋長(アイヌ人集団をたばねる役)
 ○脇乙名  アイヌ人酋長を補佐する役
 ○小使   アイヌ人酋長を補佐する役
 ○土産取(みやげどり)  アイヌ人の長老格の者をいう。この乙名・脇乙名・小使はいずれも、松前藩がアイヌ人を治めるために、アイヌ人に与えた役職である。