椴法華村や根田内村の昆布は、明治十七年以前、手繰昆布とされることが多く、これは清国向けの輸出品ではなく、国内でも大阪、敦賀方面向けの移出品であった。このように昆布を手繰昆布として製品化した場合、価格が安く漁民の収入面からも、徴税する官側からみても元揃昆布や長切昆布として製品化した場合より、かなりの損失となっていた。またこの他にも、北海道産元揃昆布の品質粗悪化の問題もあり、官民の協力により、昆布の信用回復と収入増加のための手だてを考えるようになった。こうした中で、前にも記したように、漁業協同組合申合規則の制定、更には次に記すように昆布の改良等が計画実施されるようになったのである。
明治十八年八月二十九日 函館新聞
◎昆布改良
当県亀田茅部両郡 東海岸出産の昆布は今年より総て大に改良を加える事に先頃当観業課官吏出張の上同地漁業組合中と協議を遂げられきしが中にも、茅部郡根田内村椴法華村近傍の昆布は從来、手繰昆布と唱へ需要地は大阪、敦賀の外は他所へ向かざるものなりしが、本年は右改良を加え、三場所の製に傚(ならい)ひ長切にして、上等長さ四尺中等三尺六寸、下等三尺と三段にし収税課官吏、戸長、役場書記等臨検して粗造なき様注意したりしが、丁度晴天にてもあり旁(かた)々熟れも十分に出来したり、已に二・三日前当港末広町網仕入元某商店へ廻送に及びし分とは支那商人へ示せしに、支那人も買進みたるよし、相場は上等百石に付三百九十円、中等三百二十円、下等二百五十円にて支那商へ売渡したるよし。同地方昆布の同商へ売込は本年はじめとすべし、実に從來手ぐり昆布の時と比すれば、直段は倍にもなりこの声価を博せしに善ぶべき事なり。