・夏烏賊
例年七月一日から八月末までを漁期とする(昭和三十年以後は、六月十五日から)
・秋烏賊
九月以降十一月末まで
・後採烏賊
十二月以降に漁獲する烏賊
なお烏賊の最盛期は、水温が十度から十七度(最適温は十四度から十六度)になる時期すなわち十月中旬から十二月初旬にかけてであり、個体も成長し大型であり良質のするめが生産できる。
・恵山漁場
十月から十二月の烏賊の最も成長し良質のするめに生産できる時期、恵山沖は日本海へ移動するむれと太平洋を南下するむれとが混合し、暖・寒の海流のぶつかる海況上からも汐目が多く、烏賊の群は長い期間この地域を遊泳する。このため恵山沖は烏賊の大漁場となっており、函館より約五十キロメートルと比較的漁場としては近いことから、上磯・函館・戸井・尻岸内・地元椴法華・尾札部・臼尻などの渡島沿岸の漁船、それに加えて遠来の本州船などが多数入りみだれて烏賊漁に従事しており、不漁知らずの恵山漁田とまで云われていた。
しかし、昭和二十八年、三十年、三十一年と異常に強力な対馬暖流が津軽海峡に張出し、このため太平洋岸の海水が高温となり、烏賊の群団が襟裳岬付近で滞留して南下せず、函館を基地とする漁船は往復三日を要し、燃料費がかさみ且つ鮮度の低下問題もあり、出漁を見合わせるような状態であった。大型船ですらこのような状態であり、小型船や老朽船では採算が合わず、その上危険があるため出漁できなかった。
昭和三十年頃より渡島地方の大不漁は、秋が深まるにつれて烏賊の高値をもたらし、やがて本州の大型船はこぞって、浦河・広尾方面へ出漁するようになり、その後の昭和三十一年の時には、函館の船の中にも浦河・様似方面に基地を変更するなどして出漁する船さえもでてきた。
しかし椴法華村には、道東方面での烏賊の大漁があっても、出漁するだけの大型船がなく、じっとして烏賊の回遊を待つような状態であった。その後一時的には、恵山漁場での烏賊の大大漁もあったが、次第に漁獲高が減少する傾向にあった。その原因は獲り過ぎのためであろうか。