明治三十一年九月十四日 北海道毎日新聞
(椴法華村の被害は豪雨により山津波が発生したことが原因である。)
七飯地方の水害
同所は本月五日午後八時三十分より雷雨烈しく加ふるに東南の風強く翌六日終日強雨歇(や)まず同七日午前十一時初めて徴雨となり午後に至って雨歇(や)む然るに降雨連日に亘りたるを以て部内農作物に被害あり家屋其他の被害は左の如し
戸井村潰家一、小安村潰家三、半潰二、潰納屋二、道路破損二、尻岸内村怪我女一人、死男一人、潰家三、半潰三、潰納屋一、道路破損九、椴法華男死一人、怪我女二人、潰家四、半潰二、道路破損十、此他被害價額大凡千二百圓。
なお、この山津波の時のものと考えられる記録に次のような賞状が残されている。
北海道渡島國亀田郡椴法華村
漁業組合頭取 佐々木 菊松
渡島國亀田郡椴法華村字椴法華ニ於テ山岳崩壊ノ際、羅災者小屋掛料トシテ金拾五円着出候段奇特ニ付為基賞木杯一箇下賜候事
明治三十一年十一月二十八日
北海道長官從三位勲二等男爵園田安賢