「尾札部地区の新第三紀・中新世の地層として川汲層、汐泊川層、木直層が見い出される。
川汲層は主に無層理の淡緑色をした粗粒な凝灰岩よりなり、化石は見出されないが、岩相その他から南西北海道に広く分布する、中新世の訓縫層と同時期の地層と考えられている。はじめ、その上にのる汐泊川層の部層と考えられるようになった。汐泊川層は下部には硬質頁岩(八木川頁岩部層)が卓越し、上部には凝灰岩(見日凝灰岩部層)がのっている。八木川頁岩部層は茶褐色を呈する珪質の硬質頁岩と、淡黄褐色の泥岩の板状互層をしており、西南北海道に特徴的に発達している八雲層に対比されている。木直層は主に火山角礫岩と凝灰角礫岩などの火山砕屑物よりなり、安山岩熔岩をはさんでいる。このような岩相から、木直層は西南北海道に広く発達している黒松内層の火山砕屑岩類に対比されている」。(五万分の一地質図幅・尾札部)「訓縫層は中新世中期の海成層で、門ノ沢動物群に酷似した貝や台島型に近縁な植物を産する」(秦光男・地学事典)ので、貝類よりみれば暖流型に属し、植物よりみても「温帯広葉樹と少数の針葉樹をともなう、暖・亜熱帯植物」(尾上亨・地学事典)であるから、当時は現在よりもはるかに温暖であったと考えられる。
八雲層は「中新世中・後期の海成層で、おもに硬い珪質頁岩や珪質頁岩と凝灰質泥岩の互層からなり、厚さは八〇〇―一〇〇〇メートル、最大で一三〇〇メートル」(地学辞典・古今書院)とされている。すなわち、はじめはあまり深くなかった海がしだいに深くなって、このような泥や砂が厚く堆積するようになったわけで、このような海は「渡島半島から現在の秋田県、新潟県、長野県、静岡県、富山県、島根県にかけて存在していた」(湊正雄監修・目でみる日本列島のおいたち)。
黒松内層は中新世後期の海成層で、おもにシルト岩、細粒砂岩よりなり、この時代は火山活動が活発な時代であった。