上湯の川に出て宿陣した。
土方・春日隊はこの日、川汲温泉から山坂六里の行軍をすすめたわけである。軍旅の疲れはあっても、めざす官軍の根拠地箱館を真近にして、将も兵も張りつめた一夜の眠りであった。
「夜三更にいたり箱館に当りて火あり」「星日記」)
午後一一時から一時までの真夜中に至って、箱館の街の方向の空に火の手のあがるのを認めた。土地の百姓を探索に走らせると、まもなく帰ってきて五稜郭・千代ヶ岡の辺りにちがいないという。
このときの火の手は、(千代ケ岡にあった)津軽陣屋の守備兵が敗走のついでに焼き捨てたものであった。
大鳥圭介の本隊はすでに五稜郭を遠まきにして攻撃の陣を布いた。このとき五稜郭には箱館府兵で元徳川の臣岡本柳蔵ら四〇人がいた。岡本は五稜郭の背後、神山村に陣した一連隊に使を走らせ「五稜郭は無人なり。我等は郭内を守っている。速かに兵を繰入れて可なり」と通告してきた。