郷土駐屯

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 鷲ノ木から鹿部・臼尻川汲にかけた海岸に、一小隊ずつを配置した。
 昭和のはじめ、磨光小学校教員だった小林吉郎兵衛(露竹)は、当時、健在でいた箱館戦争を経験した古老から聞き書きをして、尾札部村郷土史年表(昭和九)や南茅部町史年表(昭和四二)に記している。
 
   (略)官軍再起来襲に備える為め、後方各所に砲台築造の要を考え軍中の多くは後方各所に越年しつつ(略)宿舎を民家に求め五~一五名づつ分宿、隊長指揮の砲台人夫を督励戦闘教練をした。
   臼尻分駐隊 隊長細井安太郎(伝習隊士官)外一三五名
     竜宮庵 〓小川本家 〓東出 野村 大坂 〓小川 能戸 二本柳
   川汲分駐隊 隊長角田茂助(遊撃隊士官)外一五〇名
     酒井  加我  佐藤  小板  杉林  ほか一〇軒
   本陣を川汲〓酒井家に置き、台場指令所は川汲温泉においた。