明治二年七月八日、開拓使が設置された。
同八月一五日「蝦夷地自今北海道ト被称、十一箇国ニ分割、国名郡名等別紙之通仰出候事」と布告(太政官公文録)された。
蝦夷地の新しい国名郡名を定めるに当たっては、求められて松浦武四郎が七月一七日に意見書を提出している。この松浦・意見書がとりいれられて、千島を徐く現行の国名(支庁名)と郡名が選定され、以来ながく使用(呼称)されるようになった。
一一カ国 八六郡
渡島国 七郡 後志国 一七郡 石狩国 九郡 天塩国 六郡 北見国 八郡 胆振国 八郡 日高国 七郡 十勝国 七郡 釧路国 七郡 根室国 五郡 千島国 五郡
九月三〇日、開拓使出張所が函館に置かれた。