村網

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 郷土の各地区では、弘化年間から村網または共同網という秋味(鮭)、鮪建網漁場を経営していた。
 郷土の人々は永い間、村落・集落を部落と呼んできた。のちの町内会の範囲にあたるこの部落で、村網または共同網とよぶ漁場を経営していた。熊(大船)・臼尻・板木(安浦)・川汲尾札部・木直・古部でも経営していた。
 部落の諸行事や諸活動に必要な維持経費にあてるため、いろいろの共同事業をおこなった。村網の収益も部落費にあてていた。
 弘化・嘉永の頃の尾札部村「収納帳」に、すでに村網として網役を納めた記録がある。
 明治になり新制度ができると、部落でも共同で地券や漁場の免許を取得して、昭和二七年の漁業制度改革まで、おおかたの部落の共同網が存続した。
 北海道開発調査部所蔵の「免許漁業原簿」に、部落の共同網の権者名として次のように記されている。
 
  (尾札部共同網 代表一一名)
  茅鮪定第二六号 内藤二太郎  飯田清次郎  飯田忠次郎  吉川与三郎  荒木 惣吉  杉谷 幸吉
          清水勘太郎  渡辺 伯蔵  秋本 豊吉  栗谷川全季  小原多次郎
  (川汲共同網 代表一〇三名)
  茅鮪定第七号 杉林 梅吉  佐々木惣太  佐々木与吉  佐々木荘作  佐々木与作  八木 竹蔵
         加我 久蔵  佐々木園吉  福嶋 松蔵  福嶋市三郎  羽立福太郎  加我 留作
         加我 馬吉  加我 此吉  中津 休八  加我金次郎  杉林 幸吉  坂本 栄吉
         杉林 幸作  杉林 此吉  加我 弁蔵  加我喜代吉  佐藤 清松  佐藤金五郎
         小板初太郎  加我兼太郎  吉川幸次郎  小林 喜蔵  小林金三郎  新井田元八
         松永藤次郎  大槌 吉蔵  大槌 玉吉  加我与太郎  加我 佐吉  坂本 由蔵
         加我 久吉  西田 作蔵  吉村桃太郎  加我久太郎  加我 久作  加我喜代治
         坂本 長吉  斉藤 政治  永井 方吉  仙石喜三郎  坂本平太郎  今津 善作
         港  幸七  小板 三蔵  小板 末吉  小板 玉吉  山本 豊吉  羽立 与吉
         杉林 政吉  杉林 留八  羽立 豊八  沢中喜代松  沢中角太郎  小板篤太郎
         中津 徳松  奥岬伊三郎  加我 丈作  佐藤宇佐吉  酒井 清吉  小板久兵衛
         小板松次郎  小板 浅吉  佐藤 豊三  佐藤 嘉蔵  小板 与吉  川村林次郎
         酒井利喜松  川村与太郎  小板 由蔵  中津佐之吉  酒井 弥吉  川村 幸吉
         坂本安太郎  那須益太郎  山本嶋五郎  岡田伊佐松  杉林嘉太郎  中津 恒吉
         中津 久作  屋敷 良蔵  根本 家忠  斉藤仁太郎  杉林 金蔵  川村 留吉
         坂本啓次郎  七尾 寅蔵  加我勝太郎  荒木兵太郎  竹中 重蔵  菊地吉太郎
         杉林 寅吉  酒井末次郎  小板玉次郎  酒井 磯吉  佐々木五郎松 杉林梅五郎
         中津 仁助
  (板木共同網 代表五〇名)
  茅鮭定第四二号 蛯谷金太郎  浜林久五郎  桜田 勇吉  工藤 梅吉  鈴木 長蔵  野口 瀬吉
          尾口留五郎  野口 浅吉  野口兵次郎  鈴木 豊吉  木村 年松  木村繁次郎
          神馬 善次  山本亀太郎  山本 末吉  木村 甚平  加賀谷和市  野口 由蔵
          鳥山 福松  斉藤 留蔵  鳥山之太郎  蛯谷 直吉  野村 三蔵  中村八太郎
          蛯谷金太郎  砂田服三郎  斉藤幸太郎  工藤 名松  中村由太郎  高田卯之助
          斉藤辰之助  野口 善七  木村留太郎  福地栄太郎  張磨 留作  張磨 勝蔵
          福地 次郎  和井内福友  澤川 名吉  工藤 西松  杉林 乙吉  蛯谷豊太郎
          小林 久助  川井 甚吉  杉林 澤蔵  福島 靏吉  竹内栄太郎  川井才五郎
          中村 西松  西崎勘太郎
  (川汲村共同網 二名)
  茅鮭定第一六号 坂本 卯吉  中村音次郎
 
 (1)臼尻村共同網