[漁業組合の創立]

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 漁業組合のあゆみは大きくわけて五つの過程を経てきたといえる。その初めは明治一七年の申合規則により創立された組合である。ついで初の漁業法が施行された明治三五年以降の改組、昭和一〇年の無限責任漁業協同組合、そして昭和一九年の戦争産業団体の統制整備による漁業会への改称。戦後、昭和二四年、水協法の施行により現行の漁業協同組合の設立となって現在にいたっている。
 明治のご一新により蝦夷地は北海道となり、新しい開拓の方針もあり来住者が急増した。沿岸漁家の戸口も多くなり、永い間続いた漁業慣行にも種々問題がでてきた。
 明治一七年五月一三日付、函館県甲第一五号をもって、漁業組合条例が施行となった。
 この条例によって北海道における漁業の秩序を新たに定めることを目的に、各村々に漁業者の組織をつくらせ、申し合わせ条項をとり決めるよう指示したのである。条例に従って、各村々で申し合わせ組合を設立して認可を申請した。茅部郡下は尾札部村より落部村まで組番が付されている。
 尾札部漁業組合のはじめを、明治八年尾札部漁業者組合設立とするものもあるが、記録史料もなく尾札部以外の地にみられないところから、これをとらない。
 明治一七年一〇月一五日、尾札部村が漁業総代人今津甚蔵、副総代人小田原幸作、同小板久兵衛の名で函館県令時任為基代理函館県大書記官堀全峯に組合申合規約を上申した。
 臼尻村は漁業総代二本柳庄三郎、副総代小助川平次郎、同蛯谷直吉、村総代大坂金七の名で同年一〇月二〇日付上申、また、熊村も一〇月二五日付で漁業総代金沢今吉、副総代金沢友吉、同浦総代成田市助の名で申合規約を上申して漁業組合設立の認可を得ることになった。