〔漁港〕

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 寛政年間(一七九〇~一八〇〇)に、村上島之丞が東蝦夷屛風に弁天島を描いている。弘化二年(一八四七)来村した松浦武四郎も、「蝦夷日誌」に臼尻の澗の賑いを描いた。
 安政二年(一八五五)、長澤盛至が東蝦夷地海岸図台帳に描いたもの、安政六年(一八五九)前田夏陰の延叙歴検眞図に描かれた弁天島も臼尻の象徴となっている。
 明治一二年の北海道漁業図絵にえがかれた日の出の弁天島は美しい。
 官業の鱈肝油製造所を開設してその指導にあたった、開拓使技官渡辺章三は、頻繁に臼尻村に来村し、時には長く滞在した。現臼尻郵便局のある高台にあった旧会所あとの村用事務所がその居所であったろう。そこから四季眺めていた景観が、図絵に描かれている日の出の弁天島のすがたであると思われる。