厳島神社は、古来海中の岩島に海上安全、漁事豊漁を願って祀られた神社で、弁天社、弁天さまとして海岸の村人に信仰された神さまであった。宝暦年間(一七五三)安芸の宮島に至り、大社より勧請(かんじょう)したと伝えられる。
文政八年(一八二五)の棟札には、板木から磯谷までの村三役の名が連ねられている。海岸から開かれたので道内諸社中、厳島社は漁村や船人の関係で、松前、江差、箱館には早くから勧請されて鎮座している歴史をもつ。
このほか海上安全、豊漁、商売繁昌を祈る神社系列と思われる弁天社、竜宮社、恵比須社、琴平社、三島社、住吉社なども、漁村の各地に祀られている。
弘化二年(一八四五) 松浦武四郎 蝦夷日誌 巻五 臼尻村の項に
弁天社 村内ニ建たり
華表美々敷並ニ社壇等
漁猟繁昌の為ニ村々より建立せし故ニ
かヽる僻地ニも かくのごとき処有りと眼を驚かせり
弁天嶋 村の南のはしより舟ニ而渡る
周廻 弐丁斗
岩角畳々とし而(て)一島をなす
上に小祠有
島の周廻 布海苔 紫海苔
ムイ 東海婦人等多し