〔厳島社〕

666 ~ 667 / 1034ページ
 厳島神社は、古来海中の岩島に海上安全、漁事豊漁を願って祀られた神社で、弁天社、弁天さまとして海岸の村人に信仰された神さまであった。宝暦年間(一七五三)安芸の宮島に至り、大社より勧請(かんじょう)したと伝えられる。
 文政八年(一八二五)の棟札には、板木から磯谷までの村三役の名が連ねられている。海岸から開かれたので道内諸社中、厳島社は漁村や船人の関係で、松前、江差、箱館には早くから勧請されて鎮座している歴史をもつ。
 このほか海上安全、豊漁、商売繁昌を祈る神社系列と思われる弁天社、竜宮社、恵比須社、琴平社、三島社、住吉社なども、漁村の各地に祀られている。
  弘化二年(一八四五)  松浦武四郎 蝦夷日誌 巻五  臼尻村の項に
            弁天社  村内ニ建たり
                 華表美々敷並ニ社壇等
                 漁猟繁昌の為ニ村々より建立せし故ニ
                 かヽる僻地ニも かくのごとき処有りと眼を驚かせり
            弁天嶋  村の南のはしより舟ニ而渡る
                 周廻 弐丁斗
                 岩角畳々とし而(て)一島をなす
                 上に小祠有
                 島の周廻 布海苔 紫海苔
                 ムイ 東海婦人等多し