高等学校の沿革

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昭和23・11・   戦後、新教育制度の改革に伴い新制中学が発足。漁村にも青少年の進学心、向学への意
         欲がたかまる。臼尻の女子青年が洋裁技術を学びたいという希望があり、臼尻村長北越
         栄三は、臼尻小学校長中島昊らの協力を得て、臼尻小学校の校舎をかりて洋裁学院
         開設。
         普通学科、英語、数学、国語、社会とあわせて洋裁の学習を主な目的とする。
         これが気運となって、臼尻村にも高校を新設してほしいという声がたかまる。
    12・   臼尻村議会に森高校の分校として臼尻噴火湾分校(仮称)設置が提案され議決さ
         れる。
 
昭和23年12月26日提出
臼尻村定例議会議案第一号
北海道立森高等学校噴火湾分校設置について 北越栄三村長提出
  位置  字東海一三五番地
  課程  定時制 普通科・水産科・家庭科
  設備  木造柾葺一部亜鉛葺 平家建二三九坪 その他付帯・机・腰掛一切
  第二号 基本財産立木処分について
  使途   動力専用線新設用
  払下場所  旧熊前山村有林 旧大船村有林 売渡価格一括一五万円
協議事項
一、吏員諸給与について
  議会通過の六、三〇七円ペース改訂の正式拠金はないが、経済事情等勘案のうえ一二月分より適用交付したい。石炭手当も政府職員同様五、八〇〇円支給したい。
二、冬期間和洋裁専修女学院の開設について
  名称 臼尻村立女子専修学院
昭和23      一、位置  字東海一三五番地 旧仮校舎
         一、期間  昭和二四年一月二〇より四月三〇日まで
         一、科目  和・洋裁 手芸
         一、財源  授業料及び寄附金
 
  24・ 4・ 1  道立森高等学校臼尻分校定時制が創設された。四月一五日開校式、入学式を挙行。
         普通科(夜間授業)と家庭科(昼間授業)を置き、旧臼尻小学校舎で授業を開始。冬期間に
         集中的に授業し、夏や秋の漁繁期は休業とする。
  25・     臼尻小学校が新校地の新校舎に移る。
         臼尻村内の三つの併置中学校が統合、新しい臼尻中学校となり新校地の豊崎新校舎に移る。
  26・ 4・10  森高校尾札部分校が開設され、定時制普通科として開校。校舎は尾札部中学校の教室を
         一部借上げて発足した。
  27・11・   地方教育委員会の発足に伴い第一種高等学校に昇格、道立森高校より独立。
         臼尻村立北海道臼尻高等学校、尾札部村立北海道尾札部高等学校となる。
  28・12・   高度の漁業技術を修得させるため、実習船の建造が計画され、財政上臼尻尾札部村両村
         の協力が必要となり、両村議会はそれぞれ議決を経て尾札部村・臼尻村二ヵ村による一部
         事務組合を設立して、組合立高校を設置することとなる。
  29・ 1・   設置者変更の認可申請をおこない、尾札部臼尻村組合立高等学校設立の認可をうけ、そ
         れぞれ設置者名を変更することとなる。
     3・   校名を組合立北海道臼尻高等学校、組合立北海道尾札部高等学校と設置者ならびに校名を
         改称。
     7・ 1  組合立臼尻漁業高等学校、組合立尾札部漁業高等学校と改称。両校に漁業科をおき普通科
         を廃止。
  31・ 3・31  船名は漁連会長安藤孝俊により実習船栄光丸と命名される。校歌は大木惇夫作詞、飯田
         信夫作曲、「いざ海へ」を制定。
         組合立漁業高校実習船栄光丸は、一一七トン三四、清水市三保造船所で一月一四日起工、
         三月一一日に進水。
     4・22  栄光丸竣工祝賀会を挙行。
  32・ 3・31  尾札部臼尻漁業高等学校を廃止。
     4・ 1  臼尻尾札部両校を合併して尾札部臼尻村組合立北海道南茅部漁業高等学校となる。
         漁業科、漁業機関科、漁業家庭科の三科を置く。それぞれ尾札部教室(六〇坪)、臼尻教室
         (二六〇坪余)川汲教室(二一坪)と呼ばれる。
     4・28  申請。六月六日尾札部臼尻漁業高校の廃止と南茅部漁業高校(定時制)の設置が認可とな
         る。
  33・ 8・   尾札部村ハマナス野六五-一一四に新校舎竣工、第一期工事三八〇坪、漁業実習室六
         〇坪。
  34・ 3・   機関実習室九七坪(電動機実験室七〇坪、電気実験室二七坪)竣工。
     5・ 1  臼尻尾札部村合併、新しい南茅部村発足に伴い設置者名変更し、茅部村立南茅部漁業
         高等学校
となる。
     9・ 1  町制施行により南茅部町立となる。
  36・ 4・   第一グランド屋外運動場完成三、八四〇坪(一、一六三・六四平方メートル)
  37・ 4・   南茅部漁業高等学校を町立南茅部高等学校と改称。全日制普通科、家庭科を併設。
         定時制漁業機関科及漁村家庭科の募集を停止。
    12・   体育館一五五坪完成、水道施設工事完成。
  38・ 1・10  校章制定。
     4・   全日制家庭科を家政科と変更。
  39・ 3・   漁業実習室、機関実習室を解体し特別教室二棟。
     3・31  道立移管となり、四月一日道立南茅部高等学校となる。定時制水産科を併設し定時制漁
         業科の募集を停止。
     7・   道立移管記念式典(創立十五周年記念)
  41・11・   水産科実習室(航海計器・海洋気象各実習室)完成。
  43・ 7・   創立二〇周年記念式典。
  44・ 5・   創立二〇周年記念植樹。
  45・ 3・   定時制昼間季節制漁業経営科に転換し、同定時制水産科の募集を停止する。
  48・ 3・   栽培漁業実習場竣工。字川汲三八九番地。
  50・ 4・   全日制普通科一学級増設。家政科募集停止、全日制漁業経営科設置、定時制漁業経営科
         募集停止。
  52・ 3・   全日制家政科を閉科。
     4・   全日制漁業経営科を栽培漁業科に転換。
  53・ 3・   定時制課程を閉じる。
    10・   創立三〇周年記念行事。
 
【参考】
道百科下七五〇頁の「南茅部高等学校」の記述の誤り
  昭和二四年(一九四九) 森高等学校臼尻分校として開設
  昭和二七年(一九五二) 村立臼尻高等学校・尾札部高等学校として独立
  昭和二九年(一九五四) 臼尻尾札部村組合立高等学校となり、
  昭和三二年(一九五七) 臼尻村と尾札部村の合併で南茅部村が誕生したのに伴い、二村組合立南茅部漁業高等学校と改称
  昭和三四年(一九五九) 二年後の町制施行を経て
  昭和三九年(一九六四) 道立へ移管 南茅部高等学校となる
 
 校名の「南茅部」は町村合併ではなく、町名に先んじて統合校舎新築の時点で「南茅部」と命名され、認可を得たものである。また新村(同年九月町制)誕生に伴い、二ヵ村の組合立高校から村(町)漁業高等学校に設置者が変更したのである。また、漁業高等学校から南茅部高等学校に校名が変更になったのは昭和三七年四月である。
 要するに校名が南茅部漁業高校になったのは昭和三二年であるが、町村合併は昭和三二年ではないこと。そして道立移管は昭和三九年春であるが、校名が漁業高校から「漁業」がなくなって高等学校となるのは昭和三七年であること。(「1 高等学校の沿革」参照)