木原家 きはらけ
平賀家十五代弘保の弟保成が分家した家系。江戸時代に帰農した。一族は繁栄して芸南地方までその名を知られた。大原屋、大文字屋は富豪として著名。
木原家墓地 きはらけぼち
白市・光政寺前の道の先に木原家墓地がある。
かつて木原家墓地内には礼拝堂(宗清堂)があり、その遺物、扁額、石仏、鰐口、建築組み物は旧木家家住宅内に展示してある。
扁額の銘は(表)願王殿 (裏)奉掛額 宝暦十庚辰(1760)三月吉日 願主 木原保満
木原保満 きはらやすま
元禄元年(1688)生れ。木原家の本家大原屋二代。芸南屈指の豪商として栄え、各地の寺社に多くの石造物を寄進している。
旧木原家住宅 きゅうきはらけじゅうたく
(重文)
木原家の本家大原屋の住居。建築年代は寛文五年(1665)。復元工事が行われた大型町屋としては全国的に古く貴重である。
切妻造、平入、本瓦葺、間口六間半、奥行五間、延床面積218㎡
境界石 きょうかいせき
国境、郡境、村境を示す目印の石。
教善寺 きょうぜんじ
浄土真宗本願寺派 南命山 教善寺 本尊は阿弥陀如来
西条町西条の塔の岡に所在する。
開基は天文年中(1532~55)安芸守護・武田氏の流れをくむ。出家して真言宗光明坊を営む。浄土真宗本願寺第十世証如上人に帰依し浄土真宗南命山教善寺と改称する。
寛永年中(1624~44)広島藩主が西条へ鷹狩りの節、文武の聞えのある第五世了尊を召して、御下問を賜わり明答したので、恩賞として、御紋鞍置を拝領し、年賀登城、代官直支配の特典を受けた。