西条で酒づくりがさかんになったのは、明治時代よりも後だということがわかるね。

時代 | 出来事 |
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室町時代 | 〇奈良(なら)で「南都諸白造り(なんともろはくづくり)」と呼ばれる技術が生まれる |
安土桃山 (あづちももやま)時代 |
〇伊丹(いたみ)で「伊丹諸白造り(いたみもろはくづくり)」と呼ばれる技術が生まれる |
江戸時代 | 〇伊丹で「寒造り(かんづくり)」という技術が生まれ、「伊丹丹醸造り(たんじょうづくり)」とよばれる 〇灘に酒ぐらがふえる 〇灘で、酒がくさらないようにするために菰樽(こもだる)が使われるようになる 〇中国酒(中部地方のお酒)が、たるに錦絵(にしきえ)のラベルをはって売られるようになる 〇灘で「宮水(みやみず)」とよばれた日本酒づくりにてきした水が発見される 〇宮水を使ってつくられた灘の酒が江戸(いまの東京)で売り上げをのばし、「灘流生もと造り(なだりゅうきもとづくり)」とよばれるようになる |
明治時代 | ○各地の酒ぐらが「灘流生もと造り」を学んだが、灘(なだ)以外ではつくることができなかった ○1894年 山陽鉄道が開通し、西條驛(さいじょうえき)(今のJR西条駅)ができる ○1898年 三浦仙三郎が『改醸法実践録(かいじょうほうじっせんろく)』という本を出版する、のちに「軟水醸造法(なんすいじょうぞうほう)」とよばれる技術が発表される ○1904年 東京に大蔵省醸造試験場(おおくらしょうじょうぞうしけんじょう)が完成する ○1907年 日本醸造協会が「全国清酒品評会(ぜんこくせいしゅひんぴょうかい)」を始める ○1911年 日本醸造協会が「全国新酒鑑評会(ぜんこくしんしゅかんぴょうかい)」を始める |
大正時代 | ○「西条酒造株式会社(しゅぞうかぶしきがいしゃ)」ができる ○1917年 西条の木村静彦(きむらしずびこ)と石井峯吉(いしいみねきち)が京都の大倉恒吉(おおくらつねきち)とともに初の全国酒類品評会の名誉賞(めいよしょう)くら元となる |
昭和時代 | ○1930年 佐竹利一(さたけりいち)利彦(としひこ)親子によって、「竪型精米機(たてがたせいまいき)」が開発される ○河東碧梧桐(かわとうへきごとう)が「酒都西條(しゅとさいじょう)」という言葉を初めてつかう |