東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ
②なぜ北広島市という名前なのだろう?
名前の由来は、広島と関連するのでしょうか。
北広島市役所の近くにある神社にいってみましょう。
画像 【資料】神社の入り口 画像 【資料】神社の中の様子
りっぱな神社だね。
あれ?右側になにかあるね!見てみよう!
のんたの画像 画像 【資料】石碑(せきひ)の全体写真 画像 【資料】石碑(せきひ)の文字
う~ん、最初の文字は読めないけど…村開島廣(ひろ)?
よく意味がわからないなあ。
のんたの画像
これは右から読んで、「廣島開村碑(ひろしまかいそんひ)」と書いてあるよ。
下の文章を読むと、明治17年に和田郁次郎(わだいくじろう)さんをはじめとする25戸の家がうつり住んだこと、そしてうつり住んで25周年を記念して明治41年に広島神社内に石碑が建てられたことが書いてあったよ。
ここは広島神社という名前だったんだね。
のんたの画像
和田郁次郎とはどのような人物なのでしょうか?
北広島市役所のくわしい方にきいてみました。
画像 【資料】和田郁次郎とその妻(つま)シゲの写真
(出典:北広島市エコミュージアムセンター知新の駅デジタルアーカイブ
画像 【資料】和田郁次郎の家
(出典:北広島市エコミュージアムセンター知新の駅デジタルアーカイブ
画像 【資料】広島村の様子
(出典:北広島市エコミュージアムセンター知新の駅デジタルアーカイブ
和田郁次郎さんは、現在の広島県広島市南区段原(だんばら)地区の出身です。北海道を開たくし、一つの村をつくりたいと計画しました。実さいに北海道へ2年間行って調べ、森林がよくしげっていて、札幌(さっぽろ)に近くて、川の近くの場所を選びました。その後、仲間をよびよせ、1884年に開たくがはじまりました。最初は103人の村でしたが、1893(明治26)年には人口1500人ほどの大きな集落になりました。その村は、郁次郎の出身地の名前から「広島村」と名付けられました。
のんたの画像
広島出身の和田郁次郎が開いた村だから、「広島村」なんだね。広島村は1968(昭和43)年に「広島町」になったよ。その後、人口もふえて、町から市になろうとしたんだ。
のんたの画像
どうして「北」をつけて「北広島市」にしたのでしょうか。
北広島市役所のくわしい方にきいてみました。
広島町から市になるなら、「広島市」になるね。でもそれだと「広島市」が2つできて、まぎらわしいね。だから「北広島市」にしたのかな?
のんたの画像 画像 【資料】北広島駅
「広島町」を市にするから「広島市」になるのが自然ですが、広島県の広島市とまちがえるのをさけるため、「広島市」にはしないことを決めました。そこで、住んでいる人に新しい地名の名前を募集(ぼしゅう)しました。その結果、「北広島市」「南札幌市」「北広市」の3つが候補に残り、最終的に「北広島市」に決まったのです。
選ばれた理由は、「北広島」という地名が世代・地いきをこえて長年親しまれていたからなんです。1926(大正15)年には鉄道の「北広島駅」ができた結果、地元の人々はこの地域を「きたひろしま」や「きたひろ」とよぶようになりました。このように、「広島」に北海道の頭文字「北」をつけた名前が長年親しまれていたために、「北広島市」となりました。
広島県の北にある「北広島市」という意味ではないんだよ。
市役所の人 画像 【資料】広島村が北広島市になるまで
少し面白い話があります。北海道の「北広島市」が、たった1日だけ「広島市」だった日があるのです。それは日本の法律(地方自治法)の関係で起きました。
町を市に変えるときは2つの手順をふむ必要がありました。まず「広島町」を市にしたいと国に伝えます。すると広島町の「町」という文字が「市」になって「広島市」になります。
次に「広島市」から「北広島市」に名前を変えます。この2つの手続きを同じ日にできないため、1日だけ広島市となりました。
市役所の人
たった1日だけ、日本に「広島市」が2つあったということだね!
のんたの画像
広島にゆかりのある人がうつり住んだことで「広島」の名前が定着したんだ。「町」から「市」になる時、広島市と同じ名前になるのをさけるために北広島市になったよ。「北」は北海道の意味だったんだね。
のんたの画像
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