東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ
④黒瀬町の歴史あるものを調べよう!
黒瀬の神社マップをみてみましょう。
神社の数や変わった名前の神社があればメモをとりましょう。
【資料】黒瀬町内の神社の分布
(クリックすると大きくなります)
たくさんあるんだね。いくつあるか数えてみよう!
変わった神社の名前もあるね。のん太は「水神社 (すいじんじゃ)」という名前が気になったよ。3つあったね。「穀(こく)神社」という名前も7つあったよ。上の地図でたしかめてみよう!
水神社とはなんでしょうか?
実さいに行ってみましょう。
【資料】兼沢水神社
下黒瀬にある兼沢(かねさわ)水神社にやってきたよ。
祠(ほこら)の後ろには黒瀬川がながれているね。看板(かんばん)を読んでみよう。
【資料】兼沢水神社の看板
看板の「史跡(しせき)」というところを読むと、約200年前の1836年に、黒瀬川の堤防(ていぼう)がくずれてしまったようだね。その結果、このあたりが水につかってしまい、人々はこまってしまったようだ。この神社は、当時堤防がくずれた場所に建っているよ。
【資料】兼沢水神社と黒瀬川
たしかに水神社は、川がグネっと曲がっていて、水の流れが強くぶつかるあたりにあるね。水神社には、これからは水害が起きないようにしてほしいという人々の願いの気持ちがこめられているんだよ。また、このあたりは水害が起きやすいきけんな場所だということを後世に伝えようとしているんだな。
ほかの水神社も同じような願いがこめられた神社なのでしょうか?
もう一つの水神社に行ってみましょう。
【資料】松崎水神社
松崎水神社(まつざきすいじんじゃ)にやってきたよ。小高い山のふもとにある神社だね。昔の本で神社の「水」の意味について調べてみたよ!
【資料】松崎水神社について本にかかれた記録
祈雨(きう)というのは、雨がふってほしいという願いのことだね。この水神社には、川の水が来ないでほしいという願いではなくて、空から水がきてほしいという願いがこめられれているんだね。
このように長い間雨がふらないことを「旱魃(かんばつ)」というよ。上の資料には江戸時代のかんばつが書かれていたけど、大正時代、昭和時代にも起こっていたんだ。1939(昭和14)年のかんばつでは、春先から77日間雨がふらなかったんだって。
黒瀬町の水神社には、水害でこまったときの「水」の意味で建てられた神社と、米作りのために雨がふってほしいときの「水」の意味で建てられた神社があるんだね。
「穀」神社はどういう意味があるのかな?みんなも実さいに行って、由来を調べてみてね!
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