東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ
⑥なぜ黒瀬町は人口がふえたのだろう?
黒瀬町の人口の変化をみてみましょう。
画像 【資料】黒瀬町の人口の変化(1920年~2015年)
(出典:国勢調査より作成)
黒瀬町は人口がだんだんふえているね。1940年から47年に急にふえたのは、戦争から人が帰ってきたからだよ。最近は少しへってきているな。
のんたの画像
1970年くらいからものすごく人口がふえているようだね。どうしてだろう?
のんたの画像
まちの変化から考えましょう。
1966年と2005年の空中写真をくらべてみましょう。
画像 1966年の様子
(クリックすると大きくなります)
画像 2005年の様子
(クリックすると大きくなります)
山が変化しているね。2005年の写真をよく見ると、山に家がズラーッとならんでいるよ。宅地化(たくちか)が進み、人口がふえたことがわかるね。
のんたの画像
黒瀬町では、どれくらい宅地がふえたのでしょうか?
画像 【資料】土地の使われ方の変化
宅地は0.84平方キロメートルから、4.73平方キロメートルにふえているね。5倍以上にふえたんだ!
一方で、山林・原野はへっているね。
のんたの画像
黒瀬町では、なぜ宅地化が進んだのでしょうか?
画像 【資料】1980年-1984年の黒瀬町における転出入数
この図は、1980年から1985年に黒瀬町やその周りに住んでいる人がどのようにうつり住んだのかを表しているよ。特に、呉市から黒瀬町に多くの人がうつり住んできたことがわかるね。
のんたの画像
どうして黒瀬町に住もうと思ったのかな?
のんたの画像 画像 【資料】1985年の黒瀬町内の主な通勤(つうきん)先
(出典:黒瀬町長期総合計画をもとに作成)
上の資料をみると、黒瀬町から呉市へ多くのひとが働きにいっていることがわかるね。呉市から黒瀬町にうつり住んだ人たちの多くは、住んでいる場所は黒瀬町だけど、働いている場所は呉市が多いのかもしれないな。
のんたの画像
どうして黒瀬町から呉市まで働きに行くことができるようになったのでしょうか?
画像 【資料】各家庭がもっている車の台数
黒瀬町には鉄道がないから、車が大事な交通手段(しゅだん)だね。上のグラフをみると、車をもっている人が、1970年代からとてもふえているね。この時期は、日本がゆたかになって、車をもつ人がふえたんだ。だから、黒瀬町に住んでいても、呉市や広島市、西条町に働きに行くことができるようになったんだね。
のんたの画像 黒瀬 【資料】黒瀬のベッドタウン
このように都市部に働きに行く人々が住んでいるまちを「ベッドタウン」とよぶよ。黒瀬町は周辺の市町のベッドタウンといってもいいのかもしれないね。
のんたの画像
黒瀬町の田んぼや山が宅地化されたのは、都市部から住みよいまちを求めて、多くの人がうつり住んだからなんだね。黒瀬町が、呉市や東広島市の中心部、広島市などに車で通えるところに位置しているのも、人気の理由なんだ。
のんたの画像
他のページへ移動する
トップにもどる もくじ