東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ
➄交通に注目して
西条のうつり変わりを見ていこう。
西条は、昔、四日市とよばれていました。
四日市とは、どんなところでしょうか?
画像 【資料】近世後期における芸備地区の西国街道(▣は宿駅)
(出典:『西国街道を行く 安芸・備後路』をもとに岩佐佳哉氏作成)
いまの西条のところに四日市とかいてあるね。
そこには▣のマークがついているね。▣は宿駅(しゅくえき)を表すよ。宿駅は宿場(しゅくば)ともいうね。四日市は西国街道の「宿場」だったんだ。「宿場」ってなんだろう?
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宿場とは、西国街道のような大きな道のところどころに置かれたしせつだ。旅人が泊(と)まったり休んだりするためのたてものが集まっていたところだよ。いまの高速道路でいうと、サービスエリアみたいなところだね。
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実さいに四日市があったあたりに行ってみたよ!
のんたの画像 画像 【資料】西条本町歴史広場
(2020年5月29日撮影)
西条本町れきし広場にあるかん板から、江戸(えど)時代後期の四日市宿の通りの様子を読み取りましょう。どんなことに気づくかな。
のんたの画像 画像 【資料】西条本町歴史広場の看板の一部
(2020年5月28日撮影)
東西に西国街道の大きな通りが通っているね。
その通りにそって、家がたくさんならんでいるよ。この中には宿場もあります。
「現在地」(げんざいち)の右横の大きな建物に「御本陣」(ごほんじん)と書いているね。今度はここに行ってみよう。
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四日市の御本陣とはどんなところなのでしょうか?
画像 【資料】御本陣(茶屋)跡
(2020年5月28日撮影)
本陣とは、大名や役人といった身分の高い人のための宿はく所のことだよ。
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四日市の本陣はどれくらいの大きさだったのかな?
のんたの画像 画像 【資料】御茶屋跡の坪数
(出典:『広島県史 近世1』より引用、一部加工)
広島県内には、四日市の他にも8か所の御本陣(茶屋)があったんだね。
その中でも四日市は918坪(つぼ)あって最大だったんだ。1坪は昔のたたみ2まい分の大きさだよ。四日市の御茶屋はたたみ1,836まい分も入る大きな御本陣だったんだね。
だいたい小学校にある25mプール8こ分の大きさだよ。
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宿場としての西条はその後どのようにかわっていったのでしょうか?
画像 【資料】明治の頃の西条駅
(出典:『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 東広島』)
これは明治時代の西条駅の様子だ。西条駅は国分寺跡と旧(きゅう)西国街道の間にあったんだ。まわりの様子はどうだったんだろう?
のんたの画像 画像 【資料】1898年頃の西条の様子
(出典:『西条地歴ウォーク』)
この地図でみると、西条駅の周辺が東西に黒くぬりつぶされているね。これは、このあたり家が集まっていたことを意味するよ。
調べてみると、1894(明治27)年に、山陽鉄道(いまのJR山陽本線)が開通したらしい。西条駅ができて、人やもののい動が活発になっていったんだな。
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人口から西条の中心地としての特色をみてみよう
画像 【資料】西条の人口の変化
(出典:『統計でみる東広島2019』をもとに作成)
画像 【資料】東広島の各町の人口(2015)
(出典:『統計でみる東広島2019』をもとに作成)
西条の人口は、100年前(1920年)には14882人だったのが、いま(2015年)では82071人までふえているね。
東広島市のほかの町とくらべても人口が多いことがわかるよ。
※最新の人口については、『統計でみる東広島2022』を参照。
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西条は、江戸時代には西国街道(山陽道)の宿場として、明治時代には鉄道の駅があるところとして、「交通の要衝」としての役わりをはたしてきたんだね。
その結果たくさんの人やものが行き来し、いろいろなしせつも集まってきたんだね。
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