なかでも前期の大半を占める円筒下層式土器は、本県を中心に時間の推移とともに発展した。その広がりは、北をみると津軽海峡を越えて渡島(おしま)半島に上陸し、さらに北へ向かって北上を続け、現在の札幌市を経て北の石狩川にまで達している(23)。一方南下した当該土器は、太平洋側においては岩手県の中部で南から北上して来た大木(だいぎ)式土器と接触し、日本海側でも秋田県中央部で大木式土器と接触し混在している。ところが一部は日本海沿いに南下を続け、富山県氷見(ひみ)市の朝日(あさひ)貝塚(24)や、能登半島の富山湾に面する石川県能都(のと)町真脇(まわき)遺跡でも出土し(25)、その分布が広範囲にわたることを証明した。
しかしながら遺跡の分布と出土遺物の状況を勘案すると、円筒下層式土器文化は、北方においては渡島半島を越えて室蘭市から北西へ向かい、積丹(しゃこたん)半島の基部(後志(しりべし)の岩内(いわない)町)付近までであり、南は太平洋側では岩手県の田野畑(たのはた)村から西南へ向かって盛岡市に達し、北西へ向かって奥羽脊梁山脈を越え、米代(よねしろ)川の流域沿いの一帯か、あるいは若干南へ下がって八郎潟(はちろうがた)周辺までであろうか。とくに南では、大木式土器と混血して両土器文化の要素をもつ土器(山形県遊佐(ゆざ)町吹浦(ふくら)遺跡出土の吹浦式土器)が誕生しているのである(26)。
円筒下層a式土器
森田村・石神遺跡
(森田村歴史民俗資料館蔵)
円筒下層d1式土器
森田村・石神遺跡
(森田村歴史民俗資料館蔵)