日本人の起源

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しかしながら、アイヌの特徴として喧伝された、鬚や体毛が濃いとか、あるいは二重瞼の人が多いとかいうのは、じつは人類一般の特徴であって、そうした特徴をもたない現代和人の方がむしろ世界的には特殊なのである。
 鬚や体毛が薄いとか、瞼が一重であるという身体的特徴は、これは北方の寒冷地世界での生活に適応したものであって(あるいはいわゆる「胴長短足」も体表面積を小さくする、寒冷地対応の一種である)、そうした特徴が現代和人に見られるということは、ある時点での大量の北方人の日本への渡来を想定しなければならない。近年の形質人類学の急速な進展は、さまざまな要素からこの事実を証明することに成功している。
 博物館などに展示されている縄文人の顔や体型が、現代和人とかなり異なっていることはよく知られているであろう(写真16)。その母体は、東南アジアに誕生したモンゴロイド(蒙古系)のうち、東シナ海の大陸沿いに北上したり、あるいは中国大陸を経てそこから東進して日本列島に渡ってきた者たちであるといわれている。

写真16 縄文美人

 縄文時代に先行する旧石器時代については、日本で発見されたこの時代の人骨はそれほど多くはないものの、いずれもこうした原モンゴロイドと親近性を示しているという。
 一方、はるか北東アジアにまで分布を広げていったモンゴロイドたちは、東部シベリア地域を想像すればわかりやすいであろうが、その極寒の環境に対応するため、独特の寒冷地適応を遂げ(この集団を新モンゴロイドと呼ぶこともある)、原モンゴロイド(古モンゴロイド)とはかなり異なった形質を獲得していったらしい。そしてこの集団こそ、先にも述べたような体型的特徴から、現代和人に近い存在なのである。
 縄文時代には、温暖化による海水面の上昇により(そのレベルについては地域差がかなりあったらしいが)日本列島が大陸から孤立したため、大陸との遺伝子交換レベルでの交流も少なく、縄文人はほぼ均質な集団を形成していたといわれている。