当地が
得宗領となる次の画期としては、著名な執権の一人である
北条時頼の時代が考えられる。糠部地方の
得宗領に関する最古の文書は、五戸郷を三浦盛時に時頼が安堵した寛元四年(一二四六)のものである。翌宝治元年(一二四七)の宝治合戦にて時頼が有力御家人三浦泰村を滅ぼしたことは、北条氏の所領を飛躍的に増大させた。北条一門の守護分国が全国的に増大するのである。ちなみに右の三浦盛時(もりとき)が、三浦本宗家滅亡後、三浦介を継ぐことになる。
県下には藤崎町を中心に時頼廻国にちなむ、その妾
唐糸御前(からいとごぜん)の伝説(写真103)があり、また名川町の法光寺(写真104)は廻国中の時頼を助けたことによる恩賞としての、旧寺院を破却しての創建と伝えられるなど、
時頼の廻国伝説が流布しているが、これもこの時代の
得宗領の増大を偲(しの)ばせる。
写真103 延文の板碑(藤崎町)
(唐糸の板碑)
写真104 法光寺(三戸町)