蝦夷管領として蝦夷および夷島を支配してきた安藤氏であるが、鎌倉末期、その蝦夷管領職相続をめぐって一族内部で内紛を引き起こし、かねて北の地に生じていた蝦夷の反乱と重なって、津軽は鎌倉幕府滅亡の一原因ともされるような大乱(「安藤氏の乱」「津軽大乱」「津軽騒動」)の舞台となっていく。蝦夷管領職は安藤氏の北方支配の権力の根源であるから、この争いは深刻なものであった。
しかしそうした安藤氏一族の内紛が騒ぎを大きくした直接の契機であるとはいえ、その前提としての、このころ頻発していた蝦夷=アイヌの争乱こそ、むしろ安藤氏の乱の主要な原因として重要視すべきであろう。