後醍醐方につく

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安藤宗季(むねすえ)は、元来、安藤氏庶流でありながら、北条得宗家によって蝦夷沙汰や地頭代職を受け継ぐ嫡流に取り立てられたのであったが(それが鎌倉時代末期の「安藤の乱」の直接の原因であった)、最終的にはその北条氏を見限り、後醍醐方につくこととなった。
 宗季は出家入道して「安東入道」と名乗り、上洛ののち、北奥での所職や蝦夷沙汰の確保に奔走していた可能性がある(史料六四四)。津軽の現地での所務は、かつての譲状(史料六二一・六二八)とおり五郎太郎高季(たかすえ)・五郎二郎家季に任せていた。