目次
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新編弘前市史 通史編1(古代・中世)
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第5章 中世後期
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第一節 北辺の南北朝動乱
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三 南北朝期の津軽安藤氏の動向
後醍醐方につく
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安藤宗季(むねすえ)は、元来、安藤氏庶流でありながら、北条得宗家によって
蝦夷沙汰
や地頭代職を受け継ぐ嫡流に取り立てられたのであったが(それが
鎌倉時代
末期の「
安藤の乱
」の直接の原因であった)、最終的にはその北条氏を見限り、後醍醐方につくこととなった。
宗季は出家入道して「安東入道」と名乗り、上洛ののち、
北奥
での所職や
蝦夷沙汰
の確保に奔走していた可能性がある(史料六四四)。
津軽
の現地での所務は、かつての譲状(史料六二一・六二八)とおり五郎太郎高季(たかすえ)・五郎二郎家季に任せていた。