通常鍛冶作業で使用される道具のうち、主に出土する例は鞴(ふいご)の羽口(はぐち)や作業滓としての鉄滓(てっさい)・鍛造剥片(はくへん)であり、古代遺跡では竪穴住居跡と一体化した様相を示すが、中世遺跡では屋外に簡単な屋根をかけた構造のためか作業場を特定することは難しい。生産される製品として、前述した衣・住・農に関連した道具のほか、武具の生産が盛んになるようで、境関館では小刀・小柄(こづか)・鉄鏃(てつぞく)・小札(こざね)が造られたようである。そして、これらの素材鉄として境関館出土の鉄鋌状鉄製品が重要な意味を持ってくる。
近年、鉄鋌状の鉄製品を「鉄製品製作素材」とする考え方が出されている。つまり、鉄鉱石から鉄を取り出した後に、一定の形にして鋼素材として流通する製品のことで、運ばれた遺跡では鍛造して鉄器を作るための素材となるものである。
また、鍋や釜のように鋳物(いもの)の鉄器を作るためには鋳鉄(ちゅうてつ)が必要であり、この鋳鉄も一定の形に加工して鋳物素材として流通していたと考えられている。
つまり、中世の段階では鋼素材と鋳鉄素材がともに交易の対象となっており、自給的な生産システムというより、より広域な素材鉄の交易が存在して、地域の鍛冶・鋳物作業が実施されていたと想定されるのである。この場合、始発原料となる鉄鉱石の分析結果では、国内はもちろんのこと、中国大陸までも含めた東アジア的な規模の供給源を視野に入れざるを得なくなっている。つまり中世の生産基盤には大陸との関係が濃厚に認められるのである。