都市とは「ある限定された地域に、数多くの人々が居住して、お互いに密接な関係を保ちつつ、政治的、経済的、文化的活動を営む場」、あるいは「農業以外の産業に基盤を置く人と社会が、自然との深い相互作用の中のもとで特定の場所に織り成した生活空間である」ともいわれている。
戦国時代の都市では、領国の本拠地として戦国大名が領国経済の確立を意図し、いくつかの政策を実行していた。そのひとつの政策が在地の国人や土豪層を給人(きゅうにん)として家臣団に編成し、商工業者を誘致して、彼らを領国支配の拠点として建設した城下に集住させるというものであった。さらに地域の経済活動の中心となっていた市・町屋・交通の要である宿駅・湊・津などの整備も行われている。
このように戦国時代の都市(城下町)は、領主の居城である「城」を中心として発展したものが多くみられる。しかしなかには寺院を中心に寺内町が形成されたものや、大阪の堺や大湊など高度な自治組織をもつ港町が、畿内地方を中心に発展した。
当市域の中世都市の発生をみると、やはり領主(大浦氏)の政策的な考えの中で意図的に城下町(都市)が作られていったということができる。
大浦(津軽)氏が津軽領域の掌握に向け、拠点として居城した城跡を中心として、城と町、城と城下町ということについてみていくことにする。