石川城跡

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当市域の南側に位置する石川地区にある石川城跡の開発に伴う発掘調査が平成七年度(一九九五)に実施された。内(うち)館(八幡(はちまん)館跡とか次五兵衛殿館とも呼ばれる)という石川城跡の中心部に当たる曲輪と、堀跡部分(写真215)であった。その結果、内館と茂兵衛殿(もべえいどの)館の間にある堀跡が箱堀であったことが確認された。その堀の規模は、現在の地表面から堀底までの深さがおよそ六メートルを超えており、非常に実用的なもので、しかも強固さを示すものであったことが改めて確認できた。また堀底からは、焼けた米・麦などの炭化物なども出土している。

写真215 石川城跡内曲輪から検出された巨大な堀跡

 さらに出土した遺物は、中世のものは中国青磁(碗・皿・鉢)、中国染付(碗・皿)といった貿易によって持ち込まれた中国陶磁器をはじめ、国産品では瀬戸・美濃の陶磁器(瓶子・香炉・壺・皿・鉢)なども出土している。鉄製品では釘や刀子(とうす)といったものが出土し、木製品では下駄が五点、桶底、箸、箆(へら)状木製品なども出土している。中心部分の曲輪をさらに堅固にするように内館の南西側からは、堀が設けられたほか、堆積土中の底面からおよそ六〇センチメートルほど上面から、焼けた石などが投げ捨てられたような状態で出土している(図78・写真216)。

図78 石川城跡検出の堀跡断面図


写真216 石川城跡発掘状況