四 元禄飢饉と農政の転換

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 元禄八年(一六九五)は、いつもの年よりも雪解けが遅く、東風(ヤマセ)が吹き続き、五月には「台風雨」と大水、六月に入っても「東風ニ而寒く日中迄袷着用申候」というありさまであった。そして、七月には胡瓜・茄子の葉がすべて枯れ、稲の葉も梢の色が赤白に吹かれて青立の状態で、このとき、人々は飢饉を予感したという(資料近世1No.八五五)。奥羽地方凶作は、こうした冷害が原因となり、時にそれが飢饉となって現れてくるのであった。