施行小屋の閉鎖

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天明五年(一七八五)春は前年の凶作からの立ち直りはまだみえないが、三月には一七〇人に米三升と銭五文目ずつを与えて、それぞれ自分の村へ返している。四月七日になって楮町施行小屋が閉鎖された。この時には三〇〇人ほど収容されていたが、残らず自分の出身地の村へ返されたのである。そのうち孤独な者一三人には米一斗五升、銭五文目ずつ与えられ、農耕に従事するよう指示されている。また病人一七人は馬に乗せられ、自分の生まれた村へ送り届けられ、あるいは乞食頭丁助(こじきがしらちょうすけ)に預けられたのであった。このようにして施行小屋は取り壊されて丁助へ与えられた(『記類』、前掲『飢饉の社会史』)。