盆とは盂蘭盆(うらぼん)のことで、祖先の霊に食物を供えて、餓鬼(がき)の苦しみから解放し冥福を祈る仏教行事である。「年中家之定法」(資料近世2No.二三七)と「奥民図彙(おうみんずい)」(国立公文書館蔵内閣文庫)にはこの盆行事がよく書かれている。弘前における盆行事は次のようなものである。七月七日の朝、墓地の掃除をして、十一日から盆詰めといって、準備のための買物をした。十三日は、精霊棚を設けて位牌を並べ、菰(こも)・蓮の葉に精進料理・洗米・茄子(なす)の牛(ベコ)・胡瓜の馬を供えて、精霊を迎える準備をする。夕方に家族が桔梗(ききょう)・女郎花(おみなえし)などの花・菓子・果物・酒を持って墓参する。このことを津軽ではホゲに行くという。ホゲとは法界(ほうかい)の施餓鬼の意で、父母などの命日の供養のため無料で奉仕したり、物を恵むことであった。日が暮れると、家々の前に「椛火(かばび)」と称して迎え火を燃やす。「おんじひな(祖父)。おんばうな(祖母)。へこゝ(牛)・むまこ(馬)に乗てきとうらい(帰倒来)/\」(前掲「奥民図彙」)といって先祖の魂を迎えた。十五日には精霊棚へ供えた法界の品を菰に包んで川に流す。十六日は、地獄の釜の蓋が開くといわれ、奉公人は藪入(やぶい)りで実家へ帰り、嫁も里帰りする。二十日は送り盆で、盆行事はここまで続いた。藩庁も十三日から十六日までは盆休みとなった(「国日記」正徳三年七月十二日)。